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2008年4月

2008年4月29日 (火曜日)

刺身の個人的ランキング

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最近、鰯の刺身を食べていない。
旬が秋だといっても、年中あるのだが、たぶん、半年は食べていない。新鮮な刺身用の鰯が意外と無いものなあ。

さて、僕の刺身の個人的ランキングは以下のとおり。
高級魚がそのまま高順位とならない。「青魚」が特に好みで、他に「貝類」「イカ類」が好きだ。真アジは「青魚」が好きなわりには意外と下位ランク。ヒラメよりもカレイが好きだし、鯛はランク外。
     
     

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チューリップ・フェア

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天気の良い日が続いている。富山県礪波市のチューリップ・フェアにも大勢の人が訪れていることだろう。僕も何度か行ったことがある。だが、その想い出は、必ずその後の嫌な記憶を呼び覚ます。

僕はチューリップが嫌いだ。

  

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構造の目的

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僕が今のアパートではなく、金沢市の北西部に住んでいた頃のこと。アパートに風呂はついていたが、大きな湯船で足を広げたくて、時々は銭湯に行った。アパートの北西方向、南東方向、それぞれに同じくらいの距離に銭湯があったので、気分を変えるためにも交互に行った。そのひとつの銭湯のこと。

この記事を読んでいる人は、この文章を読む前に上の画像を見ただろうから、書こうとしていることはわかるだろう。冗談ではなく、そんな構造になっていた。ドライヤーを使おうとそのスペースに入ると、鏡とガラス窓を通して、「見えないはずの場所」が視界に入る構造になっている。これを「偶然」と言うなら、女湯側にはドライヤースペースから番台方向の窓にはカーテンがあり、そんなことには気づかないようになっているのに、男湯側にはカーテンが無いことの説明はどうつけるつもりなのか。開けられているのではない。「無い」のだ。

僕は、魚関係の仕事に就いていたこともあり、髪はかなり短くしていた。だから、ドライヤーは使わないので、かなりの期間、このことには気づかなかった。散髪直前の頃に、たまたまこの銭湯に入った時に、気づいた。そして、視界に数人の女性が見えたときには、自分のスケベな性格にもかかわらず、「こんなことがあっていいのか」と驚いた。

女性が見えたということは、女性側は知らないということなのだろうか。知っていれば、「死角」で着替えようとするはずだ。しかし、「一家揃って」「夫婦で」「恋人同士で」「親子で」というように、知っている者同士で男湯と女湯に分かれて入ることは多いはずだ。また、そうでなくても、少なくとも気づいた男は家族にそのことを言うだろう。一人の女性が知れば、友人、お隣さん、噂はあっという間に広がり、「男性側の窓にもカーテンを」の大合唱が起こるはずだ。そして、女性客はぐっと減少するはずだ。

それなのに、一ヵ月後くらいにこの銭湯に行ったとき、「構造」に変化は無かった。その後も何度か行ったが、変わりはしない。そして、駐車場からの出入りのときにすれ違う人たちは、特に女性が少ないということもない。若い女性も普通に入っていく。僕が知るはるか前からその銭湯はそうなのであり、そして、そこに入る男性は、誰一人として知り合いの女性にそのことを言わないのだろうか。そんなことは絶対にあり得ないはずなのだが。

  

  

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2008年4月28日 (月曜日)

白山スーパー林道

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白山スーパー林道が、金沢側から中宮温泉料金所までの短い区間だが開通したので、こんな天気の良い日は行くしかないと、行ってきた。全線開通は、雪の溶ける6月になる。

青空の下、ドライブは最高です。

   

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2008年4月27日 (日曜日)

小泉エリさんへ

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その番組を見るために夜更かしすることは無いが、その時間に起きていたら見るという深夜番組に、「ノブナガ」という番組の「ごはんリレー」というコーナーがある。

深夜帯の番組特有の「ゆるさ」が良い。本当にゴールを目指しているのか、多少人気のあるコーナーなので番組制作者が「終わらせないため」の画策(?)があるかはわからないが、そんなことには関係なく、主人公が小泉エリという好感の持てる娘なので、見る気になる。

石川県に来て僕に「昨日何を食べましたか?」と尋ねることもないだろうから、せめて5品目の画像だけでもプレゼントします。

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炒飯

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若い頃に比べ、嗜好は少しづつ変わってきている。ただ、肉や魚は何でも好き、辛いものや酸っぱいものが好き、トマトが大好物、野菜は茄子が好き、etc.の「基本」は変わっていない。

そんな中、わりと変化で目立つのに、「湯豆腐の味がわかるようになったこと」と「炒飯が好きになったこと」が挙げられる。歳をとるに従い「薄味」が好きになると言うのはわかる。コンビニ弁当は若い頃でさえ味が濃すぎると思っていた僕だが、今では本当に食べる気がしない。だから「湯豆腐」はわかるのだが、多少は油っぽいはずの炒飯が、若い頃はめったに食べなかったのに、40歳を過ぎてから急に好きになってしまった理由がわからない。

まあ、理由なんてどうでも良い。美味しければそれで良い。そして最近は自炊なので、この炒飯も自分で作る。以前の職場の上司に中華料理に詳しい人がいて、「卵は、油を十分加熱すればフライパンにくっつかない」ということを教えてもらってからは、わりとうまく作れるようになった。今日の昼も炒飯だった。めんどくさがり屋の僕だから、この「炒飯の素」があるかぎり、しばらく続きそうだ。

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囲碁の要注意人物

「Yahoo! 囲碁で注意すべき人物」というサイトが公開されている。「Yahoo 囲碁」を利用している人たちが、「自分の出会った悪質な相手」を書き込んでいるサイトだ。対局中に「暴言」を吐いたり、大差で負けていても1手に10分の時間切れギリギリで「ダメ」を延々と打ち続けて相手が嫌になるのを狙ったり、中には対局終了時に相手が計算終了のボタンをクリックした後に相手の「生き石」に「死石」のチェックをつけて自分が計算終了のボタンを押して「勝ち」を得る卑劣な者までいるらしい。ただ、世の中には、あること無いことネットに書く者がいるから、負けた悔しさに相手のやっていないことを「このIDの者はこんな悪い人間だ」と公開するというのもあるだろうから、まったく鵜呑みにはできないだろう。




本日の対局より。

相手も僕も、ほぼ同じような時間の使い方で打っていたら、「遅い遅い」「時間勝ちか」と言ってきた。断言する。時間の使い方は変わらないし、長くても1手に10秒以上は使っていなかった。だからこれは���らかな「挑発行為」だ。僕は無視して打ち続けた。相手もそれ以上言ってこないので、「普通に打つ気になったか」と思っていたが、相手はさほど強くなく、形勢が僕に傾いた途端、今度は「キャンセル」をリクエストしてきた。「Yahoo! 囲碁で注意すべき人物」にも「悪くなるとキャンセルをリクエストし、応じないと暴言を吐く者」がリストアップされている。僕も開始早々の相手の挑発に頭にきていたので「拒否」した。そうすると「公平でなし」と言ってくる。どこがどう公平でないのかわからないから無視して打ち続けると、来るわ来るわ「暴言の嵐」。はっきり言って、弱い相手からの「棋力で勝てないから吐く暴言」というのは、こちらが冷静になると、むしろ「気持ち���良い」から不思議なものだ。こちらは、どんどん言ってネという感じだ。

僕が盤面で60目はリードしている状態で終盤に差し掛かる。相手は暴言を考えるのとそれをチャットに入力するのに忙しいから、逆転の手を考えられるわけが無い。「最後はどういう手を使うのかな」と相手の卑怯な手を実は楽しみにしていたのだが、最後はあっさりと「回線切断」というささやかなもので終わった。それは残念。ひどいことをしてきたら、今までやったことは無いのだが、僕も上記のサイトに相手の「Yahoo ID」を登録しようと思っていたのに ……。

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2008年4月26日 (土曜日)

飛ぶように売れるから …

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魚介類、カニ、塩干類の仕入れ、販売の仕事をしていた頃のこと。その店は、スーパーではないが、カニをゆでる装置や揚げ物を揚げるスペースもあった。魚は基本的にはそのまま販売するが、もちろんお客様の要望で、三枚におろしたり、刺身に切ったりもした。そして、寿司のコーナーもあったからそのネタにも使った。そのほか、煮物や唐揚げなんかに調理して販売することもあった。

その店は海水浴場のすぐそばにあり、近くのスーパー銭湯などとともに、「リゾート施設」に組み入れられていた。夏場には、貝類がよく売れる。若者が浜でバーベキューをするのに買っていくのだ。足りなくなったらまた買いに来るという近さだった。サザエ、ホタテ、ハマグリ、etc. そして、バーベキューでなくても、手軽に食べれるものがよく売れる。「浜焼き」というコーナーもあったのだが、このコーナーが一番季節変動が大きかった。

この夏場に人気の浜焼きコーナーで、ある年、手ごろな大きさのカレイを唐揚げにして売ってみた。海水浴客が毎日のように訪れるようになった頃だ。揚げるのは僕が担当した。僕は本来は「鮮魚担当」なのだが、浜焼き担当が急にやめてしまったのだ。そして、このカレイの唐揚げは「売れた」。海水浴客ばかりでなく銭湯帰りの集団も買っていく。他の揚げ物も揚げなければならないので、10時くらいに揚場に入ると、夕方までほとんどそれにかかりっきりという感じになってしまった。まあ、鮮魚のほうは、僕より魚に慣れている者が何人もいたので任せた。飛ぶように売れるから、ほとんど接客もしない。ひたすら揚げ続け、売り場に顔を出すのはお客が減った夕方になる。

ここまでの話なら、ただの仕事の話だが、書きたかったのは別のこと。それは「お客様の服装」なのだ。書いたように、場所は海水浴場に隣接しているのだ。バーベキューの材料を買いに多くの若者が訪れるのだ。そうなのだ。そんな彼らは水着なのだ。

もちろん、「普通の服装」の人間のほうが多い。それでも浜茶屋でもない一般の魚屋の店頭に、10人に一人は水着姿の客が来るという魚屋はそう無いだろう。ビキニ姿の女の子に「おまけして」と頼まれるとすぐにおまけしてしまう僕としては、これはその職場での「夏限定」のささやかな楽しみでもあった。それが揚場にこもりっきりになることで奪われてしまったのだ。

魚の仕入れは僕が担当していた。早朝、暗い中、「金沢中央卸売市場」で、仕入れる魚を物色しながら、「今日は唐揚げにする材料は減らそうかな」とも思った日もあったのだが、やはり「これは売れる」と思えば、店の売り上げを考えるとどうしても買ってしまう。こんなとき「仕事に真面目な性格」というのも損をする。

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トレーナー

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以前、職場の先輩の家に5人くらいで遊びに行ったときのこと。

その家にペットとして小鳥が飼われていた。小さかった。体長5cmもなかったと思う。それで「大人」だという。なんという種類かは忘れた。先輩は「この鳥は本当に繊細なんだ。静かにしてやってね」という。僕らが騒いでいるときは鳥籠から出てこなかったのが、静かにしていたら、恐る恐るという感じで出てきてくれた。ちょこちょこと動く姿が本当にかわいらしい。

畳の上をヨチヨチ歩いていたが、そのうち僕のほうに来てくれた。肩に乗ったりあちこちつついたりしてくれる。されるままにしていたら、僕の着ているトレーナーの袖口から腕の中にもぐりこんだ。

そのトレーナーは身体にぴったりのものだった。袖口から入れるとは思わなかった。そして、「窒息する」とあせった僕は引っ張り出そうとするのだが、小鳥はどんどん奥に入ってきた。肘の辺りまで来たら、肘が曲げられない。ちょっとした圧力で簡単につぶれてしまうんじゃないかと思った。周りは普通に談笑しているが、それどころじゃない。本当に窒息か圧死かと思われた。肘が曲げれないから脱ぐこともできない。というか、脱ぐという行為ででもつぶしてしまうんじゃないかと思った。時間が無いと思った僕は、奥さんに「はさみを貸してください」と頼むしか方法が思い浮かばなかった。

いきなり袖のあたりをはさみで切り出した僕に周りは驚いたが、小鳥は無事だった。きょとんとした顔で僕を見ている。「よかったね。もぐりこんだのが優しい人の袖で」と僕は言ったのだが、小鳥は理解してくれただろうか。少なくとも周りの人間は「馬鹿だな」と全く理解してくれなかった。

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2008年4月25日 (金曜日)

網戸とカーテン

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皆さんは、窓を開けるとき、網戸がある場合、レースのカーテンはどうしますか?カーテンだと、もちろんプライベートはかなり守られるが、網戸だけでも、天気の良い日なんかは、部屋が外よりも暗いから、意外と外からは見えにくい。だから、僕はけっこう網戸だけにする。そのほうが、空気の流れの効率がはるかに高いから気持ちがいい。

だから、僕の習慣として、冬、ファンヒータ使用による部屋の空気の換気のため窓を一時的に開ける以外は、「カーテンが閉めてあれば窓は閉まっている」と認識することなる。

本日の昼、写真のようにカーテンが閉まっているのに、窓が開いていることに気づいた。いつ開けたか? もちろん、今日ではない。記憶をたどると、月曜日にカーテンを洗ったとき、「早く乾燥させるため」にカーテンを広げる(つまり「閉める」)ということをやったとき以外には思い浮かばない。ひいぇ~、4日以上、窓を開けっ放しにしていたのか。その間、当然ながら外出もした。外出のときはこの窓の前も通る。なのに、全く気づかなかった。そういえば、窓の向こうの隣の家の台所の音(この窓もよく開けられる)がここ数日は大きく聞こえていた様な気もする。なんと無用心なことか。僕が一人暮らしの若い女性でなくてよかった。

   

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2008年4月24日 (木曜日)

好きなCM

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最近テレビで流れているCMでお気に入りは、「サティと、ビブレも5%、オ、フ、あした~」の「イオンお客様感謝デー」のCM。

20、30日の前日と当日に流れる。大きなカレンダーの中に、女の子と熊(?)がいるあのCMだ。音楽と言い、しゃべり方と言い、しゃべる内容といい、「ゆるさ」が良い。「今日は19日、明日は ……」でその日が何日かが判るのがいい。(それは言いすぎか)

ただ、アパートに最も近い、歩いて15分の「御経塚サティ」に僕はこの二年は行っていない。

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同伴

     
     
10年くらい前の話。
    
よく利用したスナック・パブがあった。カウンターにいる女性と電話交換した。普通、男はそんな時、こちらから電話で「昼のデート」に誘うのかもしれないが、僕は特にその気は無かったので、かけないでいたのだが、ある日電話がかかってきた。「美味しい店を見つけたから一緒に食べに行きましょうよ」
     
特に予定も無かったので誘いに応じた。待ち合わせの時間は17時。「夕食には少し早いな」と思ったが、彼女には、その後に仕事がある。連れられて行ったのは小料理屋。刺身が旨かったが、特に「見つけた」というほどのことも無い。二人ともお酒が好きなのでよく飲んだ。19時近くになり、「仕事があるんだろう? そろそろ出ようか」と言うと、「大丈夫。同伴の場合、1時間くらいは遅れていいの」
    
いつのまに同伴することが決まったんだろう?  しかし、すっかりその気で、腰を落ち着け次の料理を注文する彼女に「しないよ」とは言えず、その場を壊したくも無かったので、仕方なく付き合った。彼女はよく食べた。高い店ではなかったが、かなりの金額。そこはもちろん払う気で来ていたが、「次の店」は考えていなかった。それでも「まあいいか」とその日は終わった。考えてみれば、「同伴」が無ければ彼女が僕を誘う動機も無い。店ではさも親しげにしゃべっているが、それでうぬぼれるほどの世間知らずでもないから、もっと早くに気づくべきだった。
   
1ヵ月後くらいに、また電話がかかってきた。今度は僕も同伴込みをわかって応じた。お客の少ない曜日なので、店の方針があるんだろう。頻繁でなければいいかなと思った。ただ、「よく食べる」のは勘弁して欲しい。値段を気にせず好きなものを山ほど注文して、「ごちそうさま」とにっこり笑うだけですむのは、少しは個人的に親密になってからだろう。そして男が「一緒に食事できるだけでもありがたい」と思えるのは、はっきり言って、「もう少し美人」の場合だ。
   
それから、しばらくして「富山の温泉に一泊で鮎を食べに行こう」と誘われた。出川哲朗とバナナマン日村を足して2で割ったような容姿の僕が、友人でスナックのアルバイトをしていた女性を除き、「水商売の女性に一泊旅行に誘われる」という経験は、過去の人生でこの女性だけだ。そして、僕はこの誘いを断った。さすがに「何も無い」ことは無いだろう。普通の男なら喜ぶべきかもしれないが、僕はそのことで「同伴」が週1回とかそれ以上になる義務を負ってしまうことが嫌だった。はっきり言ってお金が有り余っているわけではない。そして、最も大きな理由は、僕が彼女に一般の女性に対するもの以上の好意は持っていなかった。彼女もそうだろう。そんな二人がそうなることには、少なくとも僕には何のプラスも無いことだった。
   
彼女が別の店に移っていってから、その店で別の女の子達に「残念でしょう」「寂しいでしょう」と言われたが、僕は正直言ってほっとした。その女性からは新しい店に「来て」という電話はもちろんかかってきたが、僕は一度も行かなかった。そんな義理は無い。
      
      
     

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ブログパーツの不調

    

友人より、僕のブログが「ページが重く、表示に時間がかかる��との指摘があり、「最近画像を複数枚使った記事が多いからなあ」と思い、とりあえず「表示記事数」を20から10に半減してみたがまったく変わらない。それじゃあということで、画像が1枚だけのものを「単独記事」で開いてみたが、これでも時間がかかる。そして、反対に画像を250枚以上使った記事のページを開いてみたが、もちろん時間はかかるが、画像1枚の記事とあまり変わらない。

これは「画像」以外に原因があるなと、あちこち触ってみたら、どうも、ある特定のブログパーツに原因があったようだ。それらを使用しないようにしたら、「表示にかかる時間」は以前の状態に戻った。

まあ、「むやみに不要なパーツはつけるな」ということですね。まあ、そのパーツも、今までは調子よかったから、たぶん、数��もすれば直るのだろうとは思うが。

   

      

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2008年4月23日 (水曜日)

Excel 勉強法

   
Excel の習得は難しい。まったくの初心者から脱していない僕だが、一応、「こうすれば続けられる」というのがある。それは、興味のあることを素材に選ぶこと。
   
     
上のように、「IF関数」「条件付書式」を習得するのに、僕がやったのは、有名女性と同姓同名の別の女性を架空に設定し、「身長」「体重」以外に「バスト」「ウエスト」「ヒップ」等の興味のあることの数値を勝手に入力することからはじめ、どんどん「IF関数」「条件付書式」、さらには「AND関数」で数値が自動で出るセルの項目を追加していくというもの。なお、Excel表の中の「グラフ」という項目は、グラフ化するときに見栄えよくするために自動変換できるようにした数値が現れるセルである。
     
そして、最後に忘れてはならないのが、「総合評価」の数値が、和久井映見が最高位となるように、各種数値や計算式を考え、設定することである。

ここまで「オタク」的にやれば、「IF関数」「条件付書式」は、あなたのもの。
      

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「コメント」へのコメント


「見通しの無い着手」へのコメントへのコメントです。コメント欄では、書きにくく、わかりづらい。友人よりのコメントは、上の図で、以下のようなもの。

『ついでにいうと、黒71で80にノビて、用済みの67の石を捨てる。または、71は先に黒73とツケるのがいいのでは? 71の左にアテたり隅からハネを打てば、黒は隅にとって変わる手が有力です。また、白も72は白73とノビる一手だろうと思います。それで隅は安泰です。』

     

まず、「黒71で80にノビて、用済みの67の石を捨てる。」というのは、たぶん下のように、「1」と切ってくれば、「2」とあて、例えば「6」までとなれば、、まあまあなのかな。この方が間違いは無いか。
     

だから、白も「1」とは切らずに、「A」かな? 黒は、断点を継ぐのだが、「B」に打っても「D]に打っても、「C」で渡られそうだ。渡りを止めながら断点を解消する手は無いものか? 元が悪いから、無理か。
    

といって、「A」に「M」では、「N」で、かえって悪そうだ。
   

次に、「71は先に黒73とツケるのがいいのでは? 71の左にアテたり隅からハネを打てば、黒は隅にとって変わる手が有力です。」だが

確かに、「1」と切ってくれば、「2」と当てて良さそうだが
    

「隅からハネを打てば」というのは、「1」だとは思うが、黒は「A」「B」「C」のうちのどれ?
    

「A」なら「a」~「d」という感じか。 これなら良さそう。
      

「B」だと、変化が難しそう。 白は「イ」と来そうな感じだが、それに対して黒は「ロ」だとは思うが、そこからがわからない。
   

「C」はさすがに無いか。 「壱」と打たれても無理そう。
   

ただ、いずれにしても、「隅にとって変わる手」がよくわからないのだ。

ひまなときに、ご返事をお願い。
   
   

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2008年4月22日 (火曜日)

「光市母子殺害事件」死刑判決について

「光市母子殺害事件」の本日の死刑判決については、多くのマスコミで触れられることだろう。それぞれの言い分については、嫌というほどこれまでにも取り上げられてきたから、いまさら書いてもしょうが無い。

僕は「死刑でも足りない」と思っている。

理由は、「亡くなった弥生さんに乱暴したのは、生き返ってほしいという思いからだった」「夕夏ちゃんの遺体を押し入れの天袋に入れたのは、ドラえもんの存在を信じていたから。押し入れに入れれば、ドラえもんが何とかしてくれると思った」という昨年の被告の供述にある。そして、「無期はほぼキマリでして、7年をそこそこに地上にひょこり芽を出す」「犬がある日かわいい犬と出合った……そのまま『やっちゃった』…… これは罪でしょうか」等々の被告が友人に出した手紙にもある。自分が18歳を30日しか過ぎていないことで死刑にはならないという思いと、「幼児性」を見せることで精神的未熟から罪を軽くしようとするたくらみ。そして何よりも重要なのは、殺したことへの反省がみじんも無いことだ。「…そのまま『やっちゃった』…… これは罪でしょうか」? こんな手紙を書く人間が、ただの絞首刑で終わってよいのか? 絞首刑は「楽な死に方」なのだ。

過激な発言、記述が、逆に被告への同情に向いても困るが、はっきり言う。彼には1ヶ月、あるいは1年がかりででもいいから、「長期間にわたる苦痛の果ての死」を与えるべきだ。歴史上にはさまざまな拷問があったという。そんな手法も取り入れるべきだ。死刑を回避するため、最近になって心にも無い手紙を遺族に送っているそうだが、「苦しみから開放される死」を望むまでにすべきだ。「早く殺してくれ」と泣き叫んでもすぐには殺さず、じわじわと痛めつけるべきだ。自分のやったことがどう自分に跳ね返ってくるかを骨の髄まで知らせてやるべきだ。

心配しなくて良い。彼は人間なんかじゃない。



ちなみに、話は横道にそれるが、被告には21人もの「大弁護団」がついているという。その弁護士費用はどこから出るのか? 被告の両親、親族は裕福なのか? 息子を想う両親の気持ちに異議を挟むつもりは、もうとう無いから、それならそれで良い。しかし、まさかとは思うが、そこに税金は使われていませんよね?
   

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2008年4月21日 (月曜日)

親の死に目

僕の両親は元気に生きている。
不吉なことを書くつもりもない。

よく、芸能人やプロスポーツ選手が、親が危篤という連絡を受けても、仕事を最後までやり遂げ、それから病院へ行ったが間に合わなかったということが、「悲しい美談」として語られる。そしてコメンテーターがハンカチで涙をぬぐいながら、「さぞ、つらかったでしょうね。でも、舞台ではそんなことは微塵も見せずに、なんと立派な ……」。

僕にはこれがわからない。考え方は人さまざまだから、もちろん、そういう行動をとる人を非難するつもりはない。ただ、舞台の直前になってそこを飛び出し、他の共演者や楽しみに来ていた観客に「迷惑」をかけても、僕は何の問題もないと思っている。なのに、日本という国では「自分を殺すこと」が美談とされる。歌舞伎、茶道、能楽、…… 舞台を終えてから病院に行くことが「親の教え」でもあるらしい。

僕なら「親の教え」があっても、何があっても、すぐに病院に駆けつける。親ばかりではない。僕には妻子はいないが、仮にいたとしたら、その愛するものの一大事には、すべてを放って駆けつける。そして、「自分の抜けた穴」への批判は甘んじて受け入れ、例えば歌舞伎役者だったとして「二度と舞台に上がるな」というのならそれにも従う。そして、そんなこと(そう、親の死に目に比べれば「そんなこと」だ)でそう言われるような世界なら、出て行けることを「せいせいした」と思うだろう。「責任感のないやつだ」? 結構。自分にとってたった一人の父親、母親、妻、息子、 …… それらのことが一番でなくて、何が責任感だ? 父の危篤でプロ野球の年間140試合のうちの数試合に出なくて「問題視」されるなら、そんなリーグなんかつぶしてしまえばいい。

 

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お見合い写真

           
フジテレビ系列で、16時から「結婚できない男」の再放送をやっている。まあ、阿部寛が結婚できない男なら、僕が結婚できなくても不思議ではない。   反論は拒否します。(^。^)
      
さて、僕は独身だが、お見合いというものをしたことが無い。それでも35歳くらいまでは、職場を中心に「どうですか?」という話はあった。そしてすべて断ってきた。女性に縁の少ない僕だが、「現在、一番好きな人」以外とは、交際することもしなかった。そして、一度人を好きになると、他の女性を「美人だ」「可愛い」とは思うが、好きになることはない。僕の心の中の定員は「1名様」なのだ。めったに無いことだが、女性のほうから近づいてきても、その人が一番好きな人でない場合には「ごめんなさい」だった。「鏡を見てみろ」「高望みするな」「妥協も必要だ」などと友人は言うが、「誰でもよいから付き合いたい」という男がいることのほうが信じられない。好きだから付き合いたい、抱きたい、結婚したいのであり、付き合うこと、抱くこと、結婚することが目的ではない。
    
若い頃いた職場の関連で出会う人に、世話好きな人がいた。というか、世話好きだということを後で知った。25歳も過ぎた頃、「●●さんは結婚しないの?」と聞いてくるので、「いやあ~、なかなか出会いがなくてね」と応えると、「良い人がいたら紹介しましょうか?」と言って来る。その会話自体が「社交辞令」のつもりの僕は、「そうですね。ぜひお願いします」と答えた。相手の苗字は知っているが、名前を知らないという程度の関係しかない者同士の会話だから、話はそこで終わると思っていた。
    
どのくらい後だったろうか。その人が、僕の職場に見合い写真を持ってきた。いつも来る用事ではなく、僕にそれを見せるためにやってきたのだ。これには驚いた。当時、僕には、僕のことを好きになるという天然記念物に指定したいくらいの女性がいた。「すみません、せっかくですが、僕は、今、見合いをする気はないんです」。
    
それでも「写真だけでも見てください」と開こうとするが、写真を見て断ったら相手に失礼だと思うから、僕は目をそらして、相手の顔写真は見ず、丁重に、そして断固たる態度でお断りした。しかし、世の中には、「お見合いで○組の結婚を成立させた」ということを生き甲斐にしている人がいるらしく、その人もそれ��近かったようだ。その後も定期的にといってもいいくらいお見合い写真を持ってきた。さほど親しくない人に、そこまでされるのは逆につらい。親しい人なら、「もう持ってくるな!」と言えるのだが …… 。
    
ちなみに、最も薦められ、僕も記憶に残っている相手の条件は以下のようなものだった。こんな好条件なら、50歳の今なら喜んで結婚するのだが。
    
    
  一人娘。
  新築の家あり。それ以外に多少の財産あり。
  両親は亡くなっている。兄弟もいない。
  (僕が長男でも)姓だけは相手に合わせて欲しい。
  年齢は少し上だったと思う。
  容姿は写真を見ていないので不明。
      
      
       
     

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カーテンを洗う


   

今日は天気が良い。ドライブに行きたいところだが、本日は部屋の大掃除。

ヘビースモーカーの部屋にあるカーテンは、洗うと、洗濯機の中の水が最初こげ茶色になる。そして洗ったあと吊るすと、「このカーテンはこんなに白かったんだ」といつも思う。

風が気持ち良い。



  

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見通しの無い着手

  
先の読めない級位者同士の碁。

「65」と打ったのは、地合でかなり負けているので、まったくの「どさくさまぎれ」を狙ったもの。この右下4分の1のスペースを「弱い者同士の打ち方」で決めていては勝てない。「65」よりも「66」、その一路左、「67」、「71」、「73」、「74」、「75」、etc.…… どこが良いかもまったくわからん。

結果は、見てのとおり「望外の利」。僕にとって最も都合のよい変化で、ここで逆転。白が「92」で「93」と打っていたらどうなっていただろう。これだから、僕らのレベルの碁は恐い。

  

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2008年4月20日 (日曜日)

近況の写真

     
昔の写真をパソコンに保存したい。  スキャナーが欲しいなあ。
           
     
学生時代、犀川を散歩していたら、段ボール箱の中に捨てられている子犬を発見した。生まれて間もなかったと思う。本当に小さかった。目もよく見えないようだ。このまま捨てては置けない。しかし、僕は下宿住まいで犬は飼えない。とりあえず某所に「数日間頼む」とねぐらを確保し、飼ってくれる人を捜した。友人の女性が「私のうちは無理だけど、友達に犬好きの家がある」ということで、頼んでもらった。
     
その家は、つい最近まで別の犬を飼っていたが死んでしまった直後だった。一家全員が犬好きで、前の犬も犬小屋ではなく自宅の中で飼い、大変可愛がっていたという。だから、この頼みに大げさではなく「家族会議」が開かれたらしい。その子犬はかわいそうだが、今、その犬を飼うことで前の犬を忘れてしまったら、死んでいった犬がかわいそうだというのがその理由。本当に長時間話し合ったらしい。そして、その犬を飼っても前の犬のことは心の中にいつまでも覚えていようと家族全員で誓い合って僕からの頼みを聞いてくれることになった。他の人にも当たってみたが駄目だったので、この受諾はありがたかった。そして、そんな一家だから、たぶんこの犬も大事に育ててくれるだろうと思え、嬉しかった。
     
数ヵ月後、間に入った友人を通じて僕に届けられたのが、上の2枚の写真。数ヶ月でだいぶ大きくなっていた。その家にはその犬専用のアルバムがあるという。良い人に貰われてよかった。
   
ちなみに、子犬を引き渡すときに会った友人の友人はかなり美人だった。僕としてはその美人の顔も一緒に映っている写真は無いのかと聞いてみたかったが、友人に軽蔑されそうで我慢した。「これが縁で ……」は、やはり甘いか。
       
      
    

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音楽に酔う

僕の音楽の聞き方は少し変わっている。車を運転しているとき以外では、何かをするときにBGMとして流すということはまったくやらない。「ながら族」という言葉が僕の若い頃にはやった(今も?)が、FM音楽を聞きながら勉強できるという人間が信じられない。音楽は、「音楽を聞くこと」がメインという状態で聞く。

そして、準備するものはアルコール。酒なら何でも好きな僕だが、音楽を聞くときは、なぜかウイスキーが旨い。そして夜、明かりを消して真っ暗な中で、ヘッドフォンで大音量で聞く。2時間も聞くと耳の中が音楽をとめても「キーン」と鳴り止まないくらいの音量が必要。暗闇は妄想を増幅させ、アルコールの酔いが回るにつれ、本当に「音楽しか無い世界」に入っていくことができる。僕はこういう聞き方をする。そしてこの聞き方にぴったりなのが「中島みゆき」。「玲子」「エレーン」なんかを聞いていると、良いか悪いかは別にして、世の中が悲しくて仕方なくなる。「グレープ」「オフコース」「ユーミン」なんかもおすすめだ。

学生時代、冗談で「婚約者」同士だと言い合っていた女性も、中島みゆきのファンだったが、夜、僕の部屋へ遊びに来たとき、僕が目をつぶって音楽の世界に浸りきっていると、かなり恐い方法で僕を驚かすので困り者だったが、彼女も僕の影響で、中島みゆきはそうやって聞くようになった。

ある夜、僕の部屋で二人で中島みゆきを聞いていた。電気を消し、酒を飲みながら二人で聞くので、最初はスピーカーで鳴らしていたのだが、「やっぱり大きな音で聞きたい」ということで、二人でヘッドフォンを交互に使って聞き始めた。一応、相手は「お客」なので、彼女が2曲聞いたら僕が1曲というかんじだ。しばらくしたら、彼女が、感情をこめて「うーん」という声を出した。「感動しているのかな」と思ったら、そうでもないらしい。そのうち、どう考えてもあのときの声以外には考えられないという声を出し始めた。しかも、だんだん大きく激しくなっていく。壁なんてあってないような下宿屋だ。僕はかなりあせった。近くの部屋に聞こえるのは確実だ。そして、こういう声を出す彼女の意図がわからない。音楽に酔ってそんな声を出すというのは聞いたことが無い。部屋の明かりは消えている。誘っているのか ……?

結論を言うと、その前にヘッドフォンをかけていた僕は気づかなかったが、僕の部屋の前の廊下あたりが小さく「ミシッ」と鳴ったそうだ。「女性が来ていて明かりの消えている部屋」に関心を持った別の住人が、そっと僕の部屋の様子を伺っているんだろうと思った彼女が、「期待に応えてあげた」らしい。そういう性格だということは、前からわかっているつもりだったが、できれば小声で僕にそう言ってからやって欲しかった。暗闇の中ですぐそばにいる女性のそういう声を聞いた男の思考回路への配慮が欠けている。おそらく、彼女のからかう対象も、本当は「オクテ」の僕がメインだったんだろうが。

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ダイダラザウルス

1970年に大阪で万博が開かれた。一つ上の姉が中学の修学旅行で行けたのをうらやましく思った記憶がある。その万博会場にジェットコースターが作られた。名前を「ダイダラザウルス」といい、当時は五つのコースがあった。万博が終わった後、跡地は「エキスポランド」という遊園地となり、ダイダラザウルスも人気の高かった二つのコースが残されたのはご存知のとおり。

大人になってから、大阪に遊びに行く機会があり、友人の案内でこのエキスポランドに遊びに行った。僕のお目当てはもちろんダイダラザウルスだ。かなりの高所恐怖症を自覚している僕だが、万博当時「すごい」といわれていたのがどの程度のものか興味があった。友人が尻込みするので、乗ったのは僕一人。

高所恐怖症の人間でも「楽しいかもしれない」と甘い考えを持っていたが、ゆっくり引き上げられていく時点で、すでに乗ったことを後悔した。その後停止するまで何を思っていたかを書いてもしょうがない。僕の後ろの席の若いアベックは、男のほうが泣いていた。そしてダイダラザウルスは、僕に、今後何があってもジェットコースターには絶対に乗らないと固く心に誓わせるのに十分だった。

今、あちこちに「ものすごい」絶叫マシンがあるそうで、テレビでも時々紹介される。タレントが恐がりながらレポートしているが、それでもみんな喜んで乗っているようだ。はっきり言って信じられない。まあ、何度か乗った「大観覧車」ですら、恐くて中で楽しく会話もできない僕が、ジェットコースターに乗ろうとしたことが間違いだった。

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2008年4月19日 (土曜日)

ミレーの「落穂ひろい」

       
大学時代に住んでいた下宿屋で、特に仲の良かったのは、Fさん、Kさん、Sさんの3人。僕が大学に入った年は他に一年生は入ってこなかったので、住人は全員先輩だった。そして、その下宿屋の中で「真面目派」が僕とこの3人だったので、よく遊んだ。
     
ある日、4人が僕の部屋に集まったときにFさんがジグソーパズルを持ってきた。高価ものでかなりのピース数だったと思う。そのうちの1個のピースを取り出してFさんが僕に、「これはかなり有名な絵なんだ。この1個で、その絵がわかったら、六角堂で1kgのステーキを奢ってやるよ」と言ってきた。
     
そのピースは暖かい色だった。その色から連想したのはミレーの「落穂ひろい」。先輩は「1個では絶対わかるはずが無い」と思っていたし、僕もまったく自信は無かった。当たったのはまったくの偶然だ。しかし、「当てた」のだ。Kさん、Sさんは、「すごい!」と褒めてくれ、僕と一緒に「い、ち、きろ、い、ち、きろ」と歌いながらFさんを攻撃する側に回った。「六角堂」は当時の僕らにとっては、なかなか入れない店で、入るのはデートで見栄を張るときぐらいだった。そこで1kg分といえばいくらになるのだろうか。
     
結局Fさんの「悪かった、勘弁してくれ」の一言であっけなくこの話題は終わり、僕も「当てた」ことに満足して本当に先輩に奢らせる気はなかったのだが、その後、何かの拍子にミレーの「落穂ひろい」を見るたびに、Fさんのことを思い出すようになってしまった。
     
Fさん、お元気ですか?

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片道2km

大学時代、酒はよく飲んだ。たいていは限界まで飲み、べろんべろんに酔っ払った。次の日になって「記憶が無い」こともしょっちゅうだった。学年がひとつ上の同じ工学部の先輩とは特によく飲んだ。僕の部屋、先輩の部屋、香林坊、片町、…… 香林坊にあった小さなスナックにはよく二人で出かけた。

ある日、学食でカレーライスを食べ、夕方も近くの食堂でカレーライスを食べ、先輩のアパートに行った。彼の部屋に酒が無いことは無いのだが、お土産にウイスキーを1本持っていった。そして翌日、ひどい二日酔いで朦朧としたまま彼の部屋を出て自分の下宿に戻った。「昨夜」の記憶はまったく無かった。

共通の友人から彼の大仕事を聞かされたのは3日後くらいだったと思う。僕は、その日、彼の6畳間の畳の上に、その日食べたカレーを胃酸つきですべてぶちまけたらしい。寝たのは隣の部屋で、その部屋から帰ったのでまったく自分のしたことに気づかなかったのだ。そして先輩は、翌日、畳を雑巾で拭いてみたが、汚れよりも臭いがひどい。仕方なく、まずかなり離れたところに住んでいる知人宅から「リヤカー」を借りてきて、部屋の畳を全部乗せ、犀川まで片道2kmのコースを車に気を遣いながら運び、河川敷で1枚1枚洗ったらしい。水を含んだ畳はかなり重く、帰り道は相当な重労働だったそうだ。そして、この仕事のために、彼は大学の授業を1日あきらめた。畳が乾いたのが何日後だったかは、薄情な僕はもう忘れた。

その後も先輩とは相変わらずよく飲んだ。ただ、この話は共通の友人の間に広まり、僕を部屋に招いて飲もうとする友人は、「今日、何食った?」と聞くようになってしまった。カレーが問題ではなく酒の量が問題なのだが。

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2008年4月18日 (金曜日)

1日平均100アクセス


このブログを始めて本日が179日目。通算のアクセス数の1日あたりの平均が100を超えた。

最近のアクセス数は1日あたり200前後なので、いずれは平均が100を超えるとは思っていたが、やはり嬉しい。ブログを始めた頃は1日あたり60前後でずっと推移していたが、アクセス数を増やすために書きたいとは思わないが、なんとなく「100」という数字がひとつの目標ではあった。

週に一度は訪問してくれるという人は約100名くらいいらっしゃるようだ。感謝します。


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ファインディング・ニモ

そうか。
「ファインディング・ニモ」だったのか。

今までずっと
「ファイティング・ニモ」だと思っていた。

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裁判員制度について

来年の7月以降、「裁判員制度」が動き出す。このことについて、テレビ、新聞、雑誌等で時々特集が組まれる。制度そのものへの問題点の指摘も多いが、僕は、裁判員に選ばれたいか選ばれたくないかと聞かれれば、「選ばれたい」と思っている。その時している仕事によっては、職場の仲間に大きな迷惑をかけることになるのだろうが、それは「仕方ない」とせざるを得ない。裁判員を「失業者」「仕事をサボりたい人」「窓際の人」「時間の融通がつく人」から限定して選ぶという考え方には誰も賛成しないだろう。

裁判員は「刑事事件」を担当するという。仮に選ばれたときにどういう事件を担当したいという希望は無いが、僕は「死刑存続論者」でもある。また、死刑は確定したら速やかに実行すべきだとも思っている。今の法務大臣の死刑執行のペースが速いということがたびたび指摘されているが、「死刑」が確定し、見直し裁判も行なわれていないのに、いつまでも税金で彼ら死刑囚の生活を維持(食費等)していることのほうが、その理由を問うてみたい。唯一の懸念は「冤罪」である場合だが、確かに死刑執行後の冤罪判明は「取り返しのつかないこと」だが、懲役20年の刑でも、「取り返しのつかないこと」に変わりは無い。お金で「解決」されても、与えられた苦痛や不利益が消えてなくなるわけではないのだから、「冤罪」の危険性は死刑にだけ潜んでいるのではない。冤罪の議論は、それを生み出す要因となっている警察にこそ向けられるべきだ。権力を傘にきた捜査時、取調べ時の警察権力の横暴こそ改善すべきなのであり、死刑制度の問題として捉えるのは論点がずれている。

話が横道にそれた。僕は基本的に「誰でもよいから殺したかった」と無差別殺人を行い、自供し、殺人を認めているような者には、その犯罪に適用できる最も重い刑罰を科したいと思っている。「いじめ」による自殺なんかの事件では、いじめを行なった者ばかりでなく、それを知りながら隠そうとした、あるいは何もしなかった学校関係者にも厳罰を下したいと思っている。婦女暴行事件では、例えば「その女性にも問題があった」と証言するような証人にも罰を下したいと考えている。人を殺しながら「精神鑑定」で罪を逃れようとする畜生には、「鑑定結果」の証拠採用なんか認めない。

こんな「過激」な立場で僕は裁判に臨む。こういう人間が裁判員として適切かどうかは僕が判断することではない。とにかく、選ばれたら、積極的に参加します。

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2008年4月17日 (木曜日)

イラク派遣は憲法9条に違反する。


自衛隊のイラク派遣は違憲であることの確認と、派遣そのものの差し止めを求めた集団訴訟の控訴審判決が本日、名古屋高裁であり、裁判長は、航空自衛隊が行っている現在のイラクでの活動について「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示した。イラク派遣をめぐる訴訟はいくつかあるが、「違憲」の判断を裁判所が示したのは初めてだ。自衛隊が活動を行なっている地域で、首都バグダッドを「戦闘地域」に該当すると認定し、多国籍軍の空輸は武力行使を禁じた同法と憲法に違反するとした。「派遣差し止め」と「慰謝料支払い」については、原告の主張が退けられた一審の名古屋地裁の判決を支持し、控訴をいずれも棄却したが、原告団も慰謝料が欲しくて裁判をしているわけではない。目的は「違憲」という判断を裁判所が示し、そのことが世の中に知れ渡ることが重要なわけで、実質的には「勝訴」と言っていいだろう。

「現代戦においては、輸送等の補給活動も、戦闘行為の重要な要素だ」
「憲法第9条に違反するような国の行為、すなわち戦争の遂行などによって個人の生命・自由が侵害される場合や、戦争への加担・協力を強制される場合には、その違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法により、裁判所に救済を求めることができる場合がある」

…… こういうあたりまえのことが、司法判断として出されるのはきわめて当然のはずなのに、残念ながら「三権分立」といいながら、司法が行政の違法性を指摘することは、この日本ではなかなか無い。今回も、「差し止め請求」や「違憲確認」はいずれも「不適法な訴え」だとして、他の判例と同様に、違憲かどうかの判断は避けている。

しかし、画期的な判決だ。「風穴」は開けられた。政府の対応は、予想通り「裁判のためにどうこうする考えはありません」「自衛隊の活動への影響は全くありません」というものだが、憲法改悪、第9条の撤廃へのレールが敷かれようとしている今、このイラク問題ばかりではなく、「平和」という問題への関心が、この判決を機に少しでも高まることを期待する。


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新しくなった Google Earth


Google Earth が、「4.2」から「4.3」へバージョン・アップした。ただし、まだ「ベータ版」だ。大きな変更点は、時間による「日照」の変化を表せるようになったこと。下の画像のように、新宿付近を日の出から日の入りまで変化させると、建物に陽の当たる様子が変化する。

「だから、何なんだ?」という声も聞こえてきそうだが、だいたい、Google Earth というソフト自体が、リアルタイムな地図検索というより、地図や地形を見て楽しむソフトなんだから、これはこれで、正常な進化といえるだろう。詳細な建物3D模型もだいぶ増えたようだ。ただ、今後もどんどん機能が増えていくとしたら、僕の低スペックのパソコンでは、そのうち扱えなくなる日がやってくるのかもしれない。


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2008年4月16日 (水曜日)

駅探(ekitan)

昨日、NHK教育テレビの「中高年のためのパソコン講座」という番組を見ていた。自分が中高年になっても、「中高年のための~」といわれると、どうも見る気がしないのだが、なぜか昨日はぼんやりと見ていた。そして、その番組で「駅探」というサイトを知った。それで、試しに本日使ってみた。

いやあ~、便利なサイトですね。「金沢~東京」で検索してみたが、所要時間、料金を含め、ルートが「列車を使う」「飛行機で行く」等の選択を含めて、一瞬で表示される。時刻表とにらめっこしながら考えることなんてもう無いんだろうね。

ただ、僕は、たぶん、北海道でも九州でも、旅行するとしたらたぶん車だろうから、使う機会があるかどうかはわからないが。

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2008年4月15日 (火曜日)

巨人ファンではありません

「スポーツ中継」という記事で、昔好きだった選手として、長嶋茂雄、江川卓、清原和博の3人の名前を挙げたので、「巨人ファン」と思われそうだが、そう思われてはなので、補足説明をする。

長嶋茂雄を好きだったのは、子供の頃だ。巨人という球団が、自分のチームが一番偉いと思い込み、いろいろな制度の改変でも自分たちの思い通りにならなければ気が済まず、金に物を言わせて選手をかき集めるという球団だということを知らなかった頃だから仕方がない。江川については、いろいろな意見はあるだろうが、巨人の命じるままに動かざるを得なかった悲劇の人物として応援していた。江川が投げるときだけは巨人の勝ちを願い、それ以外の試合では巨人が負けることを祈っていた。清原については、桑田を選んだ巨人への対抗心から応援した。だから、彼が巨人に入ったときはかなり複雑な気分だった。

…… 以上です。僕は、断じて巨人ファンではない。松井秀喜という石川県出身の選手を石川県民誰もが応援し、巨人を応援している頃、発言は慎重にならざるを得なかったが、彼がヤンキースに入ってくれたので、応援しやすくなった。ただ、「松井秀喜=巨人」という印象が強いので、まだ気持ちの切り替えができていない。「スポーツ中継」という記事に、メジャーリーガーで好きな選手としてイチロー、松坂大輔の名を挙げながら、松井秀喜の名を挙げなかったのは、そういう理由がある。

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「当日は平服でお越しください」

僕は「常識」というものをあまり知らないので、数々の逸話を持つが、その中でもワースト5に入るだろうものに、ある友人の結婚式出席があげられる。

18歳のとき、友人の結婚式に出席することとなった。友人といっても8歳ほど上の人だ。子供の頃に親族の結婚式に出たことはあるが、友人のそれは初めて。当然、礼服姿で出るつもりだったが、届いた招待状には「当日は平服でお越しください」と印刷してある。そして、今から思うと下手な冗談のような話だが、なんだ、平服で良いのかと僕は文面をそのまま信じてしまった。

当日の日曜日、式は午後からで、僕はある場所で看板を作っていた。アルバイトというわけではなく、大学の「立て看」というやつだ。夏だから、僕のスタイルは、お決まりのTシャツ、Gパン、そしてサンダル履きだ。ペンキを使うから、シャツの一部には少しペンキが付いている。昼になって、一緒に作っていた友人に「今から結婚式だから、あとは頼む」とその場を離れようとした。車も自転車も持っていない僕に、「今から着替えに帰って、時間は大丈夫か?」と聞かれ、「いや、着替えないよ。平服で来て欲しいそうだ。」と答えると、「いや、それは違う。招待状はそう書くものだが、実際は違うんだ」と言ってくる。だけど、そのありがたいはずの忠告を僕は一笑に付し、「いや、いや、あの人の結婚式だから、そんな大げさなもんじゃないさ」と、そのまま式場に向かった。

あとは、ご想像のとおり。披露宴は親族よりも友人関係が多く、ラフな感じだったので、多少は救われた。友人も同じテーブルの者も「お前というやつは」と笑っていた。実行委員会形式の披露宴なので、礼服ではなくYシャツにネクタイどまりの人も数人いたから、何とか最後まで席にいることができた。しかし、本当に「冷や汗」というものは出るものだ。そして、僕はかなり多くの友人の式に出席させてもらっているが、案内状を見るたびに、この結婚式のことを思い出す。

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夢の中の色

昔、聞いたことのある俗説に、「夢を見るとき、普通は白黒の夢を見る。色が付いた夢を見るのは精神異常者である」というものがあった。昔から見た夢を良く覚えている僕だが、僕の見る夢はほとんどカラーである。総天然色である。だけど、自分が精神異常者だと思ったことはない。現在では、「色に興味がある人、色への意識が強い人が、色付きの夢を見る」というのが定説らしい。ということは、僕は人よりも色への意識が強いことになり、ポジティブに考えれば、それは芸術的センスが高いということにはならないか(?)。

僕の夢の中で「海」は時おり恐怖の対象として現れる。「よく見る夢」として津波の夢を見るということはこのブログにも書いたが、津波でなくても海面が胸元に迫っていて「今から行くところ」がはるかに遠い沖のため、「無事に行くことができるだろうか」と恐れる夢を良く見る。今日も、ある友人が僕を海につれてきて、沖のほうへ誘う。泳ぐのではない。ただ誘うのだ。その海が、手前のほうが緑色の不思議な色で、沖のほうが青かった。写真のような感じなのだが、これがかなり恐かった。その「色」が強烈で、この海はただものではないという恐怖があった。そしてその色の強烈さで目が覚めた。

18年前のことだが、ある女性が黄緑色のとっくりのセーターにこげ茶色のスカートをはいて僕の目の前から去っていくという夢を見たことがある。その女性と会っているとき、そんな服を着ている姿は一度も見たことはなかった。その去っていく姿がどうしようもなくつらくて、夢から覚めたあとも、胸がかきむしられるような想いが続いた。彼女のことを思い出すとき、実際にあったことももちろん思い出すのだが、この夢も思い出してしまうほど、その夢は強烈な印象だった。

それ以来、「緑色」は、なぜか僕の夢の中では、しばしば「恐怖」の対象として現れる。

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2008年4月14日 (月曜日)

女-男-女-男-?


僕の部屋の2階の住人が引越しして出て行った。僕のアパートは、アパートと言っても、隣の部屋とは、2階が金属の通路でつながっているだけで、1階は隣とは2m離れていて完全に独立している。そういう構造なので、壁から隣の部屋の会話が聞こえてくるとかいうことは無い。影響があるのは、2階の部屋だけだ。

このアパートに越してきて7年が経った。全部で4部屋のアパートだが、僕と隣と隣の2階はずっと同じ住人。僕の上だけが、よく変わる。最初は女性だったが、その後、男、女、男と続き、その男が出て行った。環境はかなり良いところなので、すぐ次の住人が決まると思うが、問題は男か女かだ。

というのは、もちろん性別よりも本人の性格だろうが、過去、「男」は、テレビの音もうるさく、ドンドンと歩く足音も響いてきたのだが、「女」は、「本当に人が上に住んでいるのか?」と思うくらい静かだったのだ。大和撫子とでもいおうか、部屋の「音」に関しては、ひっそりと暮らしていた。1階の住人としてはこれは大変ありがたかった。

4月の中旬過ぎだから、引越しシーズンは終わったが、過去の例からして、おそらく次の人が決まるのは1ヶ月以内だろう。とにかく「静かな人」に決まって欲しい。夜中に友達が集まってマージャンをやるというような人間だけは勘弁して欲しいと思っている。


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2008年4月13日 (日曜日)

父がお世話になっている人

本日、父がお世話になっている方に招かれた。父の意向かなとも思ったが、そうでもなかった。日中に久々に酒を飲んだ。酔っ払ったが、それでも、父のことを考えると、緊張しまくりで、完全に酔ってはいない。こういう席は難しい。会ったことはある方だが、親しいかと言うとそうでもない。とりあえず、昼食代は浮いたが、非常に疲れた。帰ってきてネット碁を2局ほど打ったが、気分がまったく乗らない。

今日はもう寝ます。

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2008年4月12日 (土曜日)

特権

「紙ふうせん」というフォーク・グループを知っていますか? というか、「フォーク」という言葉を知らない若者もいるのかな? 昔、フォークグループの「赤い鳥」のメンバーであった平山泰代さんと後藤悦治郎さんが結婚して「夫婦デュオ」としてスタートしたものだ。

僕は、若い頃、金沢にもあった「労音」の団体である「金沢音楽を聞く会」の運営委員をやっていた。そのため、コンサート(「例会」という)では、一般の人が入れないところを行き来できる。ときには歌手の人と談笑もできる。某無名歌手(「うたごえ」に参加している人には有名)とは、金沢に彼が来たとき、なんと二人で飲みに行ったことすら2回あり、かなり「労音運営委員の特権」を行使していた。

さて、「紙ふうせん」の例会の当日、コンサートの場所は金沢市観光会館。僕らの若い頃は、金沢でコンサートといえば、ここか石川県厚生年金会館だった。お客さんの入ってくる前に、「サインを貰っておこう」と思いついたのだが、前もって考えていなかったので、色紙がない。季節は夏で、僕はTシャツにジ-パン姿だった。「よし、このTシャツにサインしてもらおう」

運営委員として動き回っていたから、Tシャツは汗だくだった。マネージャーが「こ、これにサインするんですか?」と、かなり戸惑った様子。さすがに僕も「悪いかなあ」と思ったのだが、後ろにいた平山泰代さんがにっこり笑って「いいわよ!」。そして後藤悦治郎さんも「大事なTシャツに、僕らのサインなんかしていいの?」と言いながら、気さくにサインしてくれた。

二人にはもう何度も会っていたから、僕が運営委員だということは知っていた。もし、僕がまったくの一般人だったら、あの時二人はどうしただろうか?

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どうでもいいことです。

タイトルどおり本当にどうでもいいことです。

僕がこのブログを「ホームページ・ビルダー」で作っていることは前に書いたが、そのデータがどのフォルダに格納されているのかがわからなくて、少し気になっていた。それで、本日、隠しフォルダを表示させて調べてみたところ ……

「コンピュータ」→「ローカルディスク(C)」→「User」→「AppData」→「Roaming」→「IBM」→「Homepage Builder Version 11」→「blog」→「server2008●●●」→「posted」→「498119」

やっとみつかった。

では、これが見つかったのでどうするかというと、別にどうもしない。「少し気になっていた」ので調べてみただけのこと。

はい、さようなら。

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2008年4月11日 (金曜日)

散りゆく桜

雨もあってか、アパートの前の桜が散り始めている。

さて、無知な人間の素朴な疑問だが、「桜吹雪」という言葉はあるが、「梅吹雪」「ひまわり吹雪」「ゆり吹雪」なんて言葉は聞いたことがない。桜以外の花は散るとき、こんな感じにはならないのだろうか?

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2008年4月10日 (木曜日)

いきなり男に服を脱がされる

15年ほど前のこと。

その日は風邪をひいていてつらかった。仕事が一段落したところで、職場の近くにあった内科医院に行った。僕がこの医院を利用するのは初めてだ。受付で「風邪です」と伝え、熱を測ったあと、診察室に呼ばれた。

僕が椅子に座ると、お医者さんがこちらに向き直った。2~3秒後、何も言わず、いきなり僕に近づき、両手で僕のシャツをガバッとまくり上げた。そして左手はシャツを持ったまま、右手で聴診器を当て始めた。

これだけのことだが、かなり異常だとは思いませんか?

「こんにちわ」「どうしました?」という言葉がない。
「聴診器を当てますね」とも「胸を開いて」とも言わず、いきなり医者が両手で服をまくり上げる。
僕の横には看護婦がいるのに何もしない。普通、まくり上げるのも、まくり上げた服を手で持っているのも、患者本人か、横にいる看護婦さんの仕事だろう。
背中を見るときも、医者が僕の身体の胴体に手を添えて回す。

はっきり言って気色悪かった。「ホモか?」とさえ思った。注射を打ち薬をもらって職場に帰り、同僚の女性にこの話をすると、「あそこに行ったの? あそこは有名なのよ」と返ってきた。職場の近くに住む彼女も同じ経験があるという。男の僕でさえ気持ち悪かったのだ。女性ならなおさらだろう。どおりで、待合室で待たされることなく、すぐに見てもらえたわけだ。

この医者には二度と行かなかったが、数年後、この医者の名前を地方紙の新聞紙上で見かけた。「犯罪」ではない。しかしあまり名誉なことでもなかった。その内容を書くと名前が特定されやすいので書かないが、申し訳ないが、「さもありなん」というのがその記事を見たときの卒直な感想だった。

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適度な高さのもの


パソコンの椅子が操作中に突然壊れた。アロンアルファ級の接着剤で修復を試み、乾燥待ちで横にしてあるが、たぶん無理だろう。なにせ新弟子検査を余裕で通過できる体重だ。

アパート住まいで、他に椅子は無い。僕の体重を支えられて、キーボード、マウス操作に適度な高さのものが何かないかと捜したら、20年前から愛用のステレオのスピーカーを横に倒し、クッションを乗せると、これがぴったり。最新の小型のものを買わず、デザインよりも低音重視のごついスピーカーを使い続けていたことが思わぬところで役に立った。


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スポーツ中継


テレビのスポーツ中継を最近はめっきり見なくなった。プロ野球が開幕したが、見ていた時間は今のところトータルで20分くらい。そういえば大相撲中継も先場所はまったく見なかった。このことから思うのだが、僕はスポーツ中継が好きというわけではなく、好きな選手が出る試合を見たいのだ。そして、そんな選手がいなくなると見たいとは思わなくなる。

昔、好きだった選手は、プロ野球では、長嶋茂雄、江川卓、清原和博、大相撲なら貴ノ花と貴乃花の親子、彼らが出るときだけチャンネルを合わせた。今だとイチロー、松坂大輔、女子テニスのシャラポワ、卓球の福原愛ぐらい。テニスや卓球の中継なんてめったに無いし、BSが見られない環境なので、メジャー・リーグの試合を見る機会もほとんど無い。

今年は北京オリンピックが開かれる。中国に対する国際的批判の嵐や、近年のオリンピックそのものへの政治的思惑など、素直に見られない要素もあるが、日頃知らない選手でも「日本人を応援する」という単純なスタンスで見られるのが好きだ。スポーツ観戦はやはり「応援」してこそ面白い。時間があればかなり見ることになるだろう。

中国でのオリンピック開催が良いことかどうかはわからない。しかし、中国とは昔からああいう国なのだ。それがわかっていて開催を決めたはずだ。そして聖火リレーには何の罪も無い。マスコミに報道されることを期待して聖火リレーへの妨害を行い、結果としてチベット問題への世論の関心を高めたいという意図はわからないでもないが、ただでさえ政治に利用されるオリンピックの現状を快く思っていないのに、こういうことばかり続くと、ますます素直な「見たい」という意識が薄れていってしまう。

オリンピックはスポーツ界最高のイベントのはずだ。メダル至上主義の日本オリンピック委員会や人気選手ばかりを取り上げる日本のマスコミの姿勢とは関係なく、僕は純粋にスポーツの試合を見たいし、日本の選手を応援したい。そして楽しみたい。だけど、政治や思想信条が絡まない純粋な祭典として開催されるということは、もはやこの世界においては不可能なのだろうか。

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魔法のランプ


写真の日本茶の急須を「魔法のランプ」と思うには無理があるだろうが、お許しを。

三つの願いがかなうという「魔法のランプ」にまつわる小話は多い。その物語は、大きく分けて二つのパターンがあり、無人島に流された女性の願いが「美貌」「若さ」宝石」で、神様が「無人島からの脱出は願わないのか?」と不思議がるパターンと、最初の「あふれる財宝」「美女」という二つの願いに満足している男が思わず「こんなに幸せならいつ死んでもいい」とつぶやいてしまい、「死」が三つ目の願いとして実現されてしまうというもの。とにかくなぜかハッピーエンドには終わらない。もっとも、ハッピーエンドなら、小話にはならないだろうから、仕方が無い。

さて、もし僕の前に魔法のランプが現れて、どんなことでも三つの願いがかなうとしたら、どんなことをお願いするか考えてみた。

一番良い方法だと思うのが、最初のお願いを「願いの数を三つから、無限に変えてください」「これから未来永劫どんなことでもできる超能力者に変えてください」というようなものにするということ。しかし、これはたぶん「反則」なのだろう。では次に考えることは、①世界の平和、②全人類の幸福、③世の中から病気や犯罪が無くなる …… なんてことは、お酒や覚せい剤で意識が朦朧としていない限り、たぶん考えない。やはり、まずは「お金」となる。お金でできるあらゆることが可能になるなら、たいていのことはできる。そして二番目は(自分、両親の)「健康」となるだろう。「不老不死」なんかは要らない。現実に戻れば膝を何とかして欲しい。そして三つ目は、独身、恋人いない暦10年(長い!)の僕としては、理想の女性との「恋」ということになるだろうか。和久井映見が突然尋ねてきて「あなたのそばにいたい」という展開が理想的だが ……。


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2008年4月 9日 (水曜日)

ギャンブル


どうも「Sponsored Link」として付くリンクは、記事のタイトルや文章等に使われている語句によって自動的に選択されるようだ。この記事の前の「開発秘話」という記事で「ミクロ」「8000倍」「たんぱく質」「DNA」等の単語を使ったら、顕微鏡販売会社へのリンクが張られたし、「初詣」という記事で「ラブラブカップル」「デート」「彼女」「別れ」なんかの単語を使うと「1週間で彼氏をゲットする」なんていう Sponsored Link が貼られる。ブログのサブタイトルや書く記事の一部に「金沢」が入っているから、金沢市関係のリンク先がわりと多い。今、「ギャンブル」というタイトルを使い、「マージャン」「競馬」なんかの単語を使って書いていくと、ろくなリンクが貼られないだろうと、書く前から気になってしまうのだが、仕方が無い。

さて、本題。

小さい頃見ていたテレビのホームドラマには「競馬」に”はまった”男が家庭を駄目にするという場面が良く登場した。その後「競輪」「競艇」というものもあることを知るが、小さい頃から「大人になってもこれらには絶対に手を出さない」と決めていた。その誓いは50歳の今まで守られており、今後も死ぬまで手を出す気はない。

ところが、ギャンブルを一切やったことが無いかというとそんなことは無い。「パチンコ」も立派なギャンブルだろうが、20歳から50歳までの30年間でたぶん50回以上はパチンコ屋に入っている。大部分は街中で待ち合わせの際にやったと言いたいが、実は「勝ちたい」との思いで入ったのがほとんどだ。負けた金額の合計はおそらく10万円を超える。馬鹿なことをしたものだ。そして、よくやったのが「マージャン」。「賭けマージャン」は違法だから、「賭けマージャンをやった」とは言わない。ただ、学生時代に住んでいた15人くらいの居住者がいた下宿屋が、毎晩、必ず二つの部屋でマージャンがやられていたという環境だったので、マージャンはよくやった。ビリの者が缶コーヒーをみんなに奢るという程度の可愛いものだった(と、書いておく)。同じ下宿屋には、雀荘でアルバイトをしていて、10本全ての指で盲牌ができるという猛者までいた。ただ、「パチンコ」にしろ「マージャン」にしろ、身を持ち崩すというところまでのめりこんではいない。

僕がこの「ギャンブル」という記事を書こうと思ったのは、テレビで競馬の「桜花賞」というレースのCMが流れているからだ。蒼井優らの人気俳優が出演している。不思議に思うのはこの「公営ギャンブル」というものの存在だ。競馬自体はイギリス発祥の伝統あるものらしく、収入は地方自治体の重要な収入源となっていることもあり、NHKをはじめ多くのマスコミで報道されるし、有名な騎手や馬の名前もよく耳にする。しかし、「ギャンブル」なのだ。ごく一部の人だとは思うが、それにのめりこみ、家庭を壊してしまう人は今でもいるだろう。ヤミの場外馬券売り等の暴力団の重要な資金源のひとつにもなっているはずだ。そして「公営」でないギャンブルが犯罪であることからもわかるように、「ギャンブル」という行為に群がる悪や危険性というものは、国民に広く認識されているはずだ。なのに、なぜ「公営ギャンブル」というものが存在するのか? そして煙草のテレビCMや煙草の包装には「健康のため吸いすぎに注意しましょう」と表示されるし、サラ金もテレビでは「ご利用は計画的に」と言う。本音と建前は別だろうから、実質的な効果は疑問だが、そういうポーズは見せる。それなのに競馬のテレビCMでは一言も「熱くなって家族を泣かしたりしないように」とは言わない。さわやかイメージのオンパレードで終わる。まるで僕のような競馬に「偏見」を持つ者のイメージを変えて、明るく清らかな競馬の本当の姿を知って欲しいと言うように。

蒼井優さん。「偏見」を捨てきれない僕からのささやかなお願いです。僕はあなたが好きだから、どうか競馬のCMには出ないでください。


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開発秘話


昔、「ミクロの決死圏」という映画があった。その後、「インナー・スペース」というのもあった。人間や乗り物が小さくなって普通の大きさの人間の体内に潜入する。また、反対に、「ウルトラマン」では、メフィラス星人によって、フジ隊員が巨大化されてしまった。

さて、巨大化もしくは縮小化の装置や薬を開発した人には並々ならぬ苦労があると思うが、ぜひ聞きたいのが以下のようなことだ。開発者の方がこのブログに目を通したら、ぜひコメントを。

もし、開発したものが「薬」で、「飲み薬」を飲むと大きくなったり小さくなったりするのなら、たとえば飲んだ人間が大きくなるとき、着ている服も大きくなるのはなぜなのか。もし服装が元のままで「大きいサイズ」が別に準備されているなら、変身時はオールヌードなのか。また、飲み薬なら、当然体内にいきわたるまでに時間がかかるはずだが、例えば食道や胃腸が先に大きくなってしまわないために、どんな抑制剤を開発したのか。
「レーザー光線等」でそういう効果を与える場合なら、光線は当然ながら大きくしたい人間以外(壁、床等)にも照射されてしまうはずだが、それらを大きくしないためにどんな工夫をしているのか。それとも大きくなってしまったそれらのものを極秘裏に破壊しているのか。
「質量保存の法則」の問題は解決しているはずだが、例えば身長が20倍になると、体重は8000倍になるが、身体の表面積は400倍にしかならない。発汗や皮膚呼吸の対策はどうしているのか。
大きくなるとき、体内の細胞やたんぱく質、DNA、分子、原子等は、「大きくなる」のかそれとも「数が増える」のか。「大きくなる」なら、呼吸するとき、自分の体内にある酸素分子よりもはるかに小さな酸素を吸うことになるが、適応できるのか。逆に、吐き出した「巨大な二酸化炭素分子」の環境対策は万全なのか。また、「数が増える」なら、輸血すれば血液不足は解消するし、大きくする対象が牛や豚なら食糧問題も解決されるはずだが、なぜ目先の小さな問題の解決だけに使い、もっとグローバルな視点に立とうとしないのか。

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2008年4月 8日 (火曜日)

意地悪な性格

僕は、全般的には「優しい」「思いやりのある」性格だと自分では思っている。しかし、気に食わない相手には、時々意地悪もしたくなるという性格でもある。

本日、都合があって、少し離れたところにあるあまり入ったことの無い喫茶店で「モーニング」を注文した。一人なので座ったのはカウンター。そして、軽い食事を終え、コーヒーを飲みながら、煙草に火をつけた。

僕は、禁煙席ではもちろん吸わないし、喫煙席でも近くの人が「すいません、できれば煙草はご遠慮ください」とでも言ってくれば、「ごめんなさい」と必ずもみ消す。幼児や妊婦が近くにいれば吸わずに我慢する。ところが、今日、僕の右の席にいた人間がすごいことを始めた。彼の持っていたバッグは薄かった。そしてご丁寧にそれを両手で持って僕の方に向き直り、バッグを団扇代わりに大げさにあおぎ始めたのだ。「あなたの煙が迷惑だ」という態度をこれ以上は無いという感じで示し始めた。

煙草の煙が周りに迷惑なことも、「副流煙」や吐き出す煙が直接吸う煙よりも害があることも、もちろん知っている。しかし、相手は何も言わず睨みつけながら、大げさにあおぎ続けるのだ。しかも彼の右の席もそのさらに右の席も空いている。離れたテーブル席も空いている。そして顔つきは「すみませんがやめてください」ではなく、「テメエ、消せといっているのがわからないのか!」だ。

チラッと彼を一瞥したあと、僕は無視してゆっくりと旨そうに煙草を吸い続けた。カウンターの中の店員ははらはらしながら僕たちを見守っているだけで何も言わない。喧嘩にはまったく自信の無い僕は「やばいかなあ」とも思ったが、もう後に引けない。さてどうなることか ……

たぶん喧嘩になっていたら、あっさりと負けていただろう。ただでさえ弱いのに膝の具合もある。相手が我慢できんという感じで帰ってくれて、正直ほっとした。あまり利用しない店ではあるが、しばらくあの店に行くのはやめよう。だけど、今日に関しては、煙草を吸ったことへの反省なんかまったく無い。

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窓を開ける季節

僕は、部屋でも車でも窓を開けたままというのが好きだ。ヘビースモーカーということもあり、空気が滞留するのは気になる。そして、たぶん金沢では、東京なんかの大都会より、窓を開けっ放しにする人は多いと思う。

このアパートに越してくる前のアパートは2階だった。その前のアパートもそうだった。そして窓の向こうには両方とも田んぼが広がっていたので、日中なら風呂上がりでもカーテンを閉めなくても平気だった。このアパートに越してくるときも、「2階以上の物件」を捜したのだが、手頃なのが無かったので窓の外が道路に面している1階で手を打ったのだが、この季節になると「早まったな」と少し後悔してしまう。まあ、それでも、1階だということと駐車場が狭いこと以外には特にこの部屋への不満は無い。一人暮らしに広さは十分だし、広めの窓が3方向にあり、別に台所に出窓もある。採光は申し分ない。

以前、1週間を富山県に3日、石川県に4日という仕事をしていたとき、富山では会社が借りてくれたアパートに住んでいたのだが、4階だったこともあり、過ごしやすい季節は窓を全開にしていた。ある夜、20mくらい離れた別のアパートの部屋の「痴話げんか」が聞こえてきたことがある。その部屋の窓も開けっ放しだったんだろうが、大きな声で罵り合うので、しゃべっている内容が部屋のテレビの音声のように明瞭に聞こえてきた。うるさいので窓を閉め切ったのだが、サッシで遮音性は悪くないはずなのに、女性が「号泣」を始めたら、うるさくてしょうがない。そしてこの泣き方がすごかった。泣き止みそうになると相手への罵声を口にしたあとまた泣き始める。冗談抜きで「泣き声選手権」に出場しているような感じで、絶叫するような泣き声だ。確実に30分以上は続いた。よく体力が持つものだと思う。

部屋の中の音は、夜の住宅街では、窓を開けているとかなりの範囲に聞こえる。このアパートでも、夏場、20mくらい離れた家のテレビがどんな番組をやっているかがわかるときがある。前のアパートでは、50m以上離れているはずの別のアパートから、とんでもない声が聞こえてきたことさえある。窓を開けっ放しにするのは気持ち良いのだが、防犯ばかりでなく防音への注意も必要だ。

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久々のテンプレートチェンジ



久々にこのブログのテンプレートを変更した。
気分転換です。

本当は、以前のもののように、記事の一つ一つが独立して見えるものが好きなのだが、全体的に「青い色」にしたかった。そして、僕は画像を良く使うのと、わりと長めの記事が多いので、記事の幅が少しでも広いものを使いたかったというのが、このテンプレート選択の理由。

まあ、しばらくこれで行きます。


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吉野家


中島みゆきの歌に「狼になりたい」というのがある。

どの程度歌詞を引用すれば「著作権」に触れるのだろうか。それがわからないので表現が難しいが、とにかくこの歌を聴いた時点で一度も吉野家に入ったことの無かった僕は、「吉野家って不良のたまり場なのか」と思った記憶がある。もちろん今はそんなことはまったく思っていない。中島みゆきが「見苦しいねぇ~」と歌うように一人ぼっちのおじさんとして向かいの席に(誰の?)よく座っている。

ただ、おじさんになると、「速さ」についていけない。それなのに、座ってすぐに注文を聞かれるが、そこで「ちょっと待って」とでも言おうもんなら、露骨に嫌な顔をする店員が多い。そして、「すいませ~ん」と注文しようとするのに、「さっきへの復讐だ」という感じで別のお客数組に時間をとり、なかなか聞きに来ようとしないということをする人間までいる。先日もこういう店員だったが、その様子を見ていた別の客が「あっちのほうが先だよ」と僕の注文を先に聞くように注意してくれた人がいた。店員はそう言われ、一瞬固まったが、「仕方ない」という態度を露骨に見せながら僕の前へきた。

薄利多売、スピードが勝負の営業形態はわかるのだが、吉野家では入ってすぐに注文しなければ、もうその人間のことはお客様とは思わないのか?

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2008年4月 7日 (月曜日)

アプリケーションの独自性


上の画像は僕の利用している「画像ビューワ」のジャンルに属するいくつかのソフトのサムネイル表示画面。「画像ビューワ」に限らず、それぞれのソフトにはソフト作成のうえでのそれぞれの考え方があるのだろう。見た目や機能、操作方法には当然ながら違いがあり、僕もそれぞれの特徴をうまく利用しながら使い分けている。

さて、僕の使っているソフトは、ほとんどが無料のフリーソフトだ。作者が手間隙かけて作ったものを、タダで利用させてもらっている。だから、今から書く記事も「文句を言っている」と思わないで欲しい。使わせてもらっていることに感謝しながらの文章だ。

あるフリーソフトがある。名前や画像は明らかにしない。ただ、かなりの高機能なソフトだとだけ書いておく。このソフトなのだが、「独自性」が異常と言ってもいいくらい強いのだ。操作メニューはもちろんソフトによって違う。しかし、普通、「ここで右クリックしたら、こういう機能を呼び出せる」「ここをマウスでドラッグするとこうなる」というようなことはおおよそ想像ができるものだ。しかし、このソフトは、Windows を使い慣れている人間からは想像できない動きをする。「こういう操作をしたい」という思いを完全に裏切る。とにかくこのソフトを使いたかったら、常識(?)を一切捨てて、このソフト独自の操作方法に慣れる必要があるのだ。

機能を「てんこ盛り」にし過ぎたため、それらを呼び出し易いように、こういう方法をとっているのかもしれない。しかし、正直言って使いづらい。たぶん僕以外の人間でもそう感じるだろう。ネット上にもそんな声が寄せられているのに出くわすことがある。

「もったいない」のだ。高機能と使い易さは必ずしも反比例しないはずだ。これだけのソフトを作れる人ならば、「通常の操作方法」に設定することなんて朝飯前だろう。それができれば、今よりもソフト利用者ははるかに増えると思う。この「独自性」が、このジャンルのソフトの中で今一歩「メジャー」になりきれない理由だと思う。僕も、これを使いたいと思いながら、結局、使いやすい別のソフトばかり使っている。

ソフトの名前を出さないでこんなことを書いても、読者はさっぱりわからないだろうが、具体的に書くと「批判」になるような気がするので書けない。とにかく、まったく人事ではあるのだが、「もったいない」のだ。

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「時空」の自分なりの解釈


アインシュタインが「相対性理論」を提唱してから、僕らの世界は空間の広がりの三次元の世界から、時間という次元を加えたある意味では四次元の世界として扱われるようになった。しかし、時間と空間とはまったく同じものではないらしい。

さて、この「次元」だが、どう考えるかが難しい。ミクロな世界を扱う「量子力学」では、素粒子の形や性質への考察として「ひも理論」「超弦理論」等があるが、例えば「超弦理論」では、10次元の空間が必要とされ、「M理論」では、11次元であるという。ミクロな世界の集合体であるはずのマクロの世界にはそんなに次元は存在しない。これはいったいどう考えればよいのか?

量子力学まで考えていると頭が混乱するので、とりあえず、三次元の世界から「時間」を次元として考えるにはどうしたら良いかと考えた。今から書くことは、まったくの個人的文章で、科学的でも何でもありませんので、誤解の無いようにお願いします。

僕の考えたことは、「次元とは、『同時に存在できる可能性』だと考えるとわかりやすい」ということだ。

以下のように「線」があるとする。「線」は一次元である。わかりやすいように太くしてあるが、「線」だから、太さという概念は無い。だから、線上のある場所に「点」が存在すれば、もうその場所には別の「点」は存在できない。

次に、次元を増やして「面」を考える。すると、「面」には、その面上に引いた線に交わるように別の線が引ける。交点の場所はひとつの点だが、その交点に対応する別の線上の点は無数に存在する。つまり、「線」という一次元ではありえない元の線に対応する「別の点の存在」が、二次元となることで可能となる。

同様なことが、二次元の「面」から三次元の「空間」に拡大するときにも言える。「面」上にある面積を持った赤色の広がりが存在するとき、この部分には別のものが同時に存在することはできないが、その面に空間が交差すれば、「面」にとってはまったく同じ場所に別の広がりが無数に存在することが可能になる。「同時存在の可能性」が生じることを「次元が増える」と考えればよいのではないだろうか。

では、「時間」ではどうか。

ある「空間」に下のようにオートバイが存在しているとする。今、オートバイがあるのに、同時にそこにケーキは存在できない。可能性は無い。

ところが、5分後(10分後でも1時間後でも)、オートバイを移動させれば、そこにケーキを存在させることは何の問題も無くできる。「今」とか「ある一瞬」に同時に別々のものが同じ「空間」に存在することは不可能だが、時間がずれれば、つまり時間という軸を空間に加えれば「同時存在」の可能性が生じるのだ。

…… 以上、妄想の世界でした。

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はっさく


はっさくは僕の大好物のひとつだ。甘いだけの蜜柑より、甘酸っぱいところが良い。

さて、小さい頃、「名前」「名詞」「固有名詞」をカタカナで表記するのは「外来語」の場合が多いと聞いたことがある。なのに、なぜこの包装は「はっさく」ではなく「ハッサク」なのだろう。はっさくは「八朔」という立派な日本語のはずである。

日本語で、カタカナと平仮名では、カタカナが先にできたらしいから、本来、カタカナでも問題は無いとは思うが、なんとなく違和感を感じる。

まあ、ちょっと思っただけのことです。この記事を投稿してから10分も経てば忘れてしまうことだ。

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2008年4月 6日 (日曜日)

チャールトン・ヘストンの死を惜しむ

「十戒」より

名優チャールトン・ヘストンが亡くなった。

「ベン・ハー」「十戒」「猿の惑星」……、ハリウッドの「スペクタル大作」の黄金期を作った俳優。84歳の年齢は、「死を惜しむ」といっても天寿に近いとは思うが、彼の映画から得た感動をもってすれば、やはり「死を惜しむ」という表現にならざるを得ない。

映画の作品としての出来栄えを左右するのは、俳優よりも監督の力が大きいのかもしれない。しかし、僕は、特に「ベン・ハー」については、彼だからこその映画だと思っている。そして、「ベン・ハー」は、間違いなく、僕の人生の中で5本の指に入る映画である。

合掌。

「ベン・ハー」より

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初詣

4月に「初詣」の記事をブログに書くのは僕ぐらいでしょう。

昔々、あるところに、僕より10歳くらい年下の男の子と15歳くらい年下の女の子のカップルがいた。なぜか二人に慕われ、よく相談に乗った。ラブラブカップルだから二人きりでデートすればよいものを、そのデートに男の子からも女の子からも歳の離れた僕に「お誘い」がかかる。特に、女の子から「●●さん、デートに行きません?」と甘ったるい声で電話がかかってくると嬉しいのだが、当然ながら男の子とのデートに付き合わないかという「お誘い」。それに付き合う僕の神経はどうかしているとは思うが、誘ってくるこの二人の神経もやはり常人とは異なっていたと思う。

大晦日の夜9時過ぎ、アパートに電話がかかってきた。「あ、●●さん、やっぱり門前へ帰省していなかったんですね」と嬉しそうな声。「今から私の家へ来ません?」

両親と一緒に住んでいる女性の家にこの時間に遊びに行くのもどうかと思うのだが、両親公認となっていた男の子も当然一緒で、「初詣に三人で行きましょうよ」とのことだ。「どうせ、一緒に行く彼女なんていないんでしょう」と憎らしいことを平気で言う。晴れ着でも見て欲しいのかと思ったが、普通の私服だった。そして夕食を済ませていたのに「食べろ」という厳命で蕎麦をいただいたあと、2時間ほどかけて少し離れた神社に初詣に出かけた。僕はもちろん自分のことも祈ったが、この二人が幸せになることも神様に祈ったことを記憶している。

半年後、僕は再び彼女の家を訪れることになる。二人の両親も巻き込んだテレビドラマのような「別れ際のいざこざ」にはさすがに直接は関与しなかったが、「二度と会わない」という二人に、男の子のアパートに残っていた彼女の私物を「運ぶ係」というのも二人に関わった僕の役目だった。不思議なもので、2ヶ月ほど会っていなかったが、彼女はずいぶんと大人びて見えた。つらい経験をしたんだろうという僕の心がそう見させたのかもしれない。

一年後、僕とその女の子の共通の知り合いの家に呼ばれた。その知り合いから「女の子が新しい彼氏を紹介したいんだって」という電話がかかってきたのだ。喜んで出かけると、彼女は以前のように元気そのものだった。僕や知人の目の前で平気で彼氏にベターっとくっついてじゃれている。その元気な姿に僕はほっとしたのだが、「男の子」との親交が続いていた僕はやや複雑な気分だった。僕はわりと過去の恋愛を引きずるほうなのだが、男の子も女の子も、もう昔のことはすっかり整理が付いている。「若い」ということはこういうことなのかなと思った一日だった。

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アメリカ産


中国の「食の安全」への不安が広がっている今日この頃、いつも利用しているスーパーでも冷凍食品の品揃えが少し変化した。僕はカレイの煮付けが好きで冷凍ガレイの切り身をよく買うのだが、今まではずっと中国産だったものが、最近、アメリカ産に変わった。他の商品も少し変更されているようだ。

カレイで「アメリカ産」というのもあまりピンとこないのだが、まあ、美味しければいい。ただ、切り身の大きさが小さくなったのに、同じ価格というのが少し悲しい。

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そのおっちゃんは誰?

方言と標準語に関するエピソードはいろいろあるが、そのうちのひとつ。

学生時代のこと。ある場所で「活動報告」という感じの内容を大勢の前で発表するという機会があった。僕は奥能登の門前町の出身で、通常の会話は「門前弁」だったが、金沢の「金沢弁」とそんなに違わないことから、門前弁でも十分通じると思っていた。そして、こういう発表においても、へたに標準語を使うよりは「親しみやすい」のではないかと思い、しゃべり方を変える気はなかった。

「…… ほやさけ、おっちゃは、考えたげ。このままでは駄目やって。まず、いいがにいかん原因はなんやちゅうことをちゃんとせにゃあ、目標なんて達成できるわきゃあねえげ。だらなことゆうとっても、だちかんげって。ほやし、おっちゃがしたことは ……」

冗談も交えた僕の発表は好評だった(と思った)。僕以外にも数人の発表者がいたが、拍手や反響は一番だった。そして満足して席に戻り「質問タイム」となったのだが、その最初の質問が「すばらしい話で感激しました。だけど、わからないことがあります。お話の中に頻繁に登場するおっちゃんとはどういう関係の方なのですか?」

金沢生まれの人間が大部分の聴衆のほとんどが、この疑問を持っていたらしく、話がきちんと伝わってはいなかった。

僕の発表部分を標準語に直すと、以下の様になります。

「…… ですから、私たちは考えたのです。このままでは駄目だと。まず、うまくいかない原因は何かということをきちんとしなければ、目標なんて達成できるわけがありません。馬鹿なことを言っていてもいけないのです。それで、私たちがしたことは ……」

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2008年4月 5日 (土曜日)

阪神以外のプロ野球球団


今年の阪神はめちゃくちゃ強いらしい。

ひとつの球団だけでは相手にならないので、阪神以外の全球団が一致団結したらしい。だって、「Yahoo テレビ」によると、本日、阪神が「プロ野球」相手に試合をすると書いてあるんだもん。


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桜の中の石川門

明日から兼六園の無料開放が始まるが、金沢市民なら今日も無料で入れるということで、天気も良いことだし、兼六園に行ってきた。しかし、兼六園の中って意外と桜は少ないんですね。

犀川河川敷の桜並木とともに、桜の中の石川門の写真を「charryWEBアルバム」に何枚かアップロードしたので、あまり綺麗なものは無いが、良かったら左のリンクから見てください。

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Sponsored Link について


このココログ・フリーには Sponsored Link が時々表示されることについては以前にも書いたが、フリーである以上、仕方ないことだとは思っている。だいたい月の始めの頃に表示されるようだ。

しかし、今までは、わりと「健全な」CMのようだったが、今回のものは、正直言ってあまりつけられたくないような記事へのリンクが貼られてしまった。「セックスレス解消するなら」「中古車1台売って50万稼ぐ」なんて、なんか怪しげだとは思いませんか?

こんな記事を書くと「規約違反」になるのかもしれない。近日中にもしこのブログがネット上から無くなっていたら、理由はそれだと思ってください。

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2008年4月 4日 (金曜日)

煙草を吸ってください

以前、「taspo」の申込書をもらってきたという記事を書いたが、写真を添付する必要もあり面倒くさいのと、石川県では実施は6月からということもあって、まだ送付していなかった。

本日、スーパーに行ったら、支払いを済ませたあと商品を袋詰めするテーブルに、スーパーの制服とは異なる青い服装の男女二人連れが陣取っていた。聞くと、日本たばこ産業の社員で、「taspo」申込書での写真撮影と記入の支援を無料でやっているという。せっかくなので、顔写真を撮ってもらい、記入を済ませた。そして、法律の関係でポストに入れることは代行できないそうなので、とりあえず部屋へ持って帰ってきた。

煙草を吸う人の割合が年々減少しているという話は良く聞いている。日本たばこ産業としては、「taspo」の導入は、表向きは、未成年者の喫煙対策として積極的に進めているとは思うが、未成年者はますます買わなくなるし、煙草を吸う人でも深夜、「taspo」を忘れていたら買えないという人が増え、売り上げが下がることは目に見えているから、心の底では「taspo」導入には反対している社員もいるのではないかと思うといったら、失礼だろうか。

だから、現在吸っている人には、ぜひ吸い続けて欲しいだろう。今日のサービスも、うがった味方をすれば、そのためのサービスだ。しかし、背景はどうあれ、こういうサービスは素直にありがたい。サービスを受けながら、ついつい皮肉めいたことを書いてしまう自分の性格も困ったもんだとも思う。

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2008年4月 3日 (木曜日)

初めてのお手伝い

断片的でしかない幼い頃の記憶の中でわりと覚えていることが、初めての「食器洗い」の失敗談。

理由は忘れたが、母親に楽をさせたいと思いついた僕は、「おかあさん、僕が今日食器を洗ってあげるよ」とか何とか言ったんだと思う。母親が食器を洗うときに使っていた洗剤とたわし(スポンジだったかどうかは記憶に無い)は知っていた。よく泡立っていたことも。

ところが、食器を水につけてある食器ダライに洗剤をピュッと入れても泡が立たない。もう一押ししたが同じ。さらにもう一押ししても変わらない。洗剤は水に溶けただけで泡ができない。「おかしいなあ」と思いつつ、洗剤を押し続ける。そしてボトルにいっぱい入っていた洗剤の三分の一くらいを水に溶かしたところでさすがに「何かが違う」と思い、母親に聞いた。「お母さん、なんで泡が立たないの?」

母親は笑っていたが、ボトルの三分の一の洗剤が入った水はヌルヌルの状態だった。なぜあの時、「水をかき混ぜる」とか「スポンジで洗ってみる」という発想が出てこなかったのだろう。とにかく、僕は泡立ってから洗い始めようとしていたのだ。

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酒の雨割り

このブログへの訪問者の皆様、花見の予定はいつですか?

大学二年生の春、友人三人と花見をすることになった。場所は石川門の前にある芝生のあたり。上の写真の左下の辺りだ。当時は全面芝生だったように記憶しているが、記憶違いかもしれない。花見の日取りは4日前くらいに決めていたと思う。

ところが、前日から雨だった。当日はかなりの土砂降り。中止にするか場所を変えて屋内でやろうというのが、一般の人たちの発想なのだが、僕らはアホの集まりだった。「こりゃ場所取りの必要が無いな」ということで、準備してあった一升瓶と簡単なつまみで、誰もいない場所で酒盛りを始めた。時間は午後3時くらいだったろうか。

しかし、さすがにあぐらをかいた尻は冷たいし、体はびしょぬれ。僕は眼鏡だから雨の中ではまともに見えない。10分くらいで「やめようや」ということになりかけたが、県外から入学してきた男が「ここで花見をすることが金沢に来てからの夢だったんだ」と主張する。結局、一旦大学に戻り、ダンボールを準備して戻ると再度の乾杯。ダンボールは、尻に敷くのと傘代わり。左手でダンボールを持ちながら酒を酌み交わす。

通り過ぎる人で無反応の人はほとんどいない。たいていはあっけにとられた顔で見ていくだけだが、「若いね」「馬鹿だね」「信じられん」の声も時々聞こえる。そんな中で飲む酒が旨いかと聞かれたら答えようが無い。雨が激しいから酒をついでから口に入るまでに何粒の雨滴が入っていただろうか。もはや味はどうでも良い。石川門の下で酒盛りをすることに意義があるのだ。つまみなんか「渇きもの」のはずが水浸し。いま、この歳ではこんなまねは絶対にできないと思う。やっぱり若かったんですね。

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2008年4月 2日 (水曜日)

久々の満タン

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さて、ガソリンの暫定税率が無くなって初めてのスタンド。政局は流動的だが、安い期間が一ヶ月くらいという話もあるので、久々に「満タン」。最近はセルフか「20リットル」とか「3,000円分」とか言っていたからね。

僕は、安い店を捜して回るという性格ではないので、いつも利用しているスタンドで給油。だから、この価格が金沢のスタンドで安いほうなのか高いほうなのかはわからない。ニュースで、どこの都道府県かは忘れたが、「スタンドのひしめく激戦区で125円」と言っていたから、金沢は、たぶんこんなものなのでしょう。

そして、雪が少なかった今年の金沢の人間としては、遅めのタイヤ交換。先月はまったく雪が無かったが、痛めている膝の具合と相談して、できれば自分で換えたかったが、やはり膝が踏ん張れないので、これは本当に久しぶりのスタンドでの交換となった。しかし、このマークⅡでは初めての「普通タイヤ」だが、タイヤの溝はかなり微妙。まあ、車の価格が価格だから、これも、そんなものでしょう。

      

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資生堂 THUBAKI のCM

いつも思うのだが、資生堂の「THUBAKI」のCMは豪勢だ。8頭身というより9頭身ではないかと思えるスリムな美女や、仲間由紀恵、竹内結子、蒼井優、田中麗奈、広末涼子、香里奈、etc.らの有名女優の集団がワンサカ出てくる。出演料は合わせていくらかかっているのだろう。

しかし、このCMに限らず、「元から美女」ではなく、「並の人」を起用し、そういう人がこの化粧品を使うとこんなに美人になるというCMに出会ったことが無いのだが、これって、軽自動車のCMにベンツやBMWの映像を流しているようなことにはならないのか?

         

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新車

僕が人生において新車を買ったのは一度だけだ。「カローラ・SEリミティッド」というもの。30歳頃のことだ。

車体の色が「白」なら2週間で納車できるということだったが、ほとんど注文する人がいないという「こげ茶色のツートンカラー」を頼んだため、納車に一ヶ月以上かかった。待ちに待った新車が来たときは嬉しくてしょうがなかった。

買ってから一ヶ月くらいたった頃、休日の昼間、銭湯に出かけた。その帰り道でのこと。

あまり車の走らない道だったが、僕の走っている道は「優先道路」だった。そこへ、一旦停止をせずに、速度も落とさず、信号のない交差点から大回りで回ってきた車があった。広くない道で、真正面に突然出てきたから避けようが無い。こちらは急ブレーキを踏んだが、事故後に見てみると、相手はブレーキの跡さえなかった。僕の今までの人生の中で一番大きな事故だった。そして車の前の部分は大破した。

こんな状況でも、責任が「100対0(ゼロ)」になることはまず無いだろう。ところが対応した警察官はなんとも親切(?)な人だった。相手のドライバーに「君が悪い。ちゃんと責任を持って対応しなさい」と言い残して去っていった。相手が「僕は一旦停止したような気がする」「相手(僕のこと)がスピードを出していた」などと発言して、警察官の心証を悪くしたこともあっただろう。

さて、相手は仕事中で、車は社用車だった。事故後の話し合いは、僕と相手の会社の事故担当者との間で行なわれた。幸運なことに担当者は「物分りの良い人」だった。責任が事実上100%会社側にあることを認めた。そして、「こちらの車はもちろんこちらで直します。あなたの車も責任を持って修理します」と言ってくれた。だが、こちらは買って一ヶ月未満の新車なのだ。それが「事故車」になってしまうのだ。そして、表面上はわからなくても、おそらく車体に微妙なズレなんかが生じているだろう。お気に入りの塗装も完璧に元通りになるかわからない。僕は宣言した。「修理なんかしなくて良い。この車はお宅の会社にあげる。かわりに、まったく同じ仕様の車を僕にくれ」と。

知り合いの弁護士に尋ねてみた(1時間相談してタダだった)ところ、「100対0でも、まったく新しい車というのは無理だろう」とのことだった。僕もそれはわかっているつもりだった。だけど「買って一ヶ月未満の新車が ……」という思いはどうしようもなかった。そして ……

相手の会社の名前なんてとっくに忘れたが、話を聞いたこの会社の社長が事故担当者に言ったそうだ。「俺が、その立場になったら、やっぱり修理なんかじゃ納得できない。俺だって新車を要求するだろう」と。

かくして、さらに一ヵ月後、僕はまったく同じ仕様の新車に乗ることができた。だから、僕が人生において新車を買ったのは一度だけだが、新車には2台乗っている。

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素足の親指

僕がまだ若かった、ある冬の日。

ある部屋に、僕とその女性がいた。二人きりだが、別に恋人同士ではなかった。そして女性は泣いていた。だが、女性が泣くといっても、恋愛問題で苦しんでいたわけではない。両親や友人に不幸があったというわけでもない。泣いている理由はわかるのだが、これを説明するのは難しい。僕が悪いわけでもない。僕以外の特定の誰かが悪いというのでもない。強いて言えば、僕を含めた彼女の周りの人間全てに少しづつ責任があったのかもしれない。

僕は彼女を慰めるすべを知らなかった。そしてなかなか泣き止まない彼女を見ているのがつらくなって、うつむくと、そこに彼女の右足があった。炬燵があるのに僕も彼女も入ってはいなかった。そのうえ彼女は素足だった。真冬なのだ。ストーブは無いからその足がいかにも寒そうだ。どちらかと言えばふくよかなほうに属する体型を持つ彼女の足の指が少し丸まっているように見えて可愛かった。

その指を見つめていると、どうしようもなく彼女がいとおしくなってきた。寒そうに震えている彼女の右足の親指に「もう君を泣かせるようなことはさせない」と言いたくてどうしようもなくなった。そして強く抱きしめたいと思った。

この女性とは1年以上前からの知り合いだったが、今まで意識したことは無かった。だから、この日、まったく突然に恋をした。僕は一目惚れというものをしたことが無い。男である以上、女性の顔やスタイルを「美人だ」「可愛い」と思うことはあるが、その意識が「好きだ」という感情に変わることもあまり無い。女性に恋をするのは、「気づいたら好きになっていた」というものばかりだ。だから、ある女性を突然好きになった日として、この日のことは強烈に覚えている。

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2008年4月 1日 (火曜日)

春の訪れ



いつのまにか、アパートの前の桜が咲いている。
     

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