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2008年4月21日 (月曜日)

親の死に目

僕の両親は元気に生きている。
不吉なことを書くつもりもない。

よく、芸能人やプロスポーツ選手が、親が危篤という連絡を受けても、仕事を最後までやり遂げ、それから病院へ行ったが間に合わなかったということが、「悲しい美談」として語られる。そしてコメンテーターがハンカチで涙をぬぐいながら、「さぞ、つらかったでしょうね。でも、舞台ではそんなことは微塵も見せずに、なんと立派な ……」。

僕にはこれがわからない。考え方は人さまざまだから、もちろん、そういう行動をとる人を非難するつもりはない。ただ、舞台の直前になってそこを飛び出し、他の共演者や楽しみに来ていた観客に「迷惑」をかけても、僕は何の問題もないと思っている。なのに、日本という国では「自分を殺すこと」が美談とされる。歌舞伎、茶道、能楽、…… 舞台を終えてから病院に行くことが「親の教え」でもあるらしい。

僕なら「親の教え」があっても、何があっても、すぐに病院に駆けつける。親ばかりではない。僕には妻子はいないが、仮にいたとしたら、その愛するものの一大事には、すべてを放って駆けつける。そして、「自分の抜けた穴」への批判は甘んじて受け入れ、例えば歌舞伎役者だったとして「二度と舞台に上がるな」というのならそれにも従う。そして、そんなこと(そう、親の死に目に比べれば「そんなこと」だ)でそう言われるような世界なら、出て行けることを「せいせいした」と思うだろう。「責任感のないやつだ」? 結構。自分にとってたった一人の父親、母親、妻、息子、 …… それらのことが一番でなくて、何が責任感だ? 父の危篤でプロ野球の年間140試合のうちの数試合に出なくて「問題視」されるなら、そんなリーグなんかつぶしてしまえばいい。

 

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