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2008年4月22日 (火曜日)

「光市母子殺害事件」死刑判決について

「光市母子殺害事件」の本日の死刑判決については、多くのマスコミで触れられることだろう。それぞれの言い分については、嫌というほどこれまでにも取り上げられてきたから、いまさら書いてもしょうが無い。

僕は「死刑でも足りない」と思っている。

理由は、「亡くなった弥生さんに乱暴したのは、生き返ってほしいという思いからだった」「夕夏ちゃんの遺体を押し入れの天袋に入れたのは、ドラえもんの存在を信じていたから。押し入れに入れれば、ドラえもんが何とかしてくれると思った」という昨年の被告の供述にある。そして、「無期はほぼキマリでして、7年をそこそこに地上にひょこり芽を出す」「犬がある日かわいい犬と出合った……そのまま『やっちゃった』…… これは罪でしょうか」等々の被告が友人に出した手紙にもある。自分が18歳を30日しか過ぎていないことで死刑にはならないという思いと、「幼児性」を見せることで精神的未熟から罪を軽くしようとするたくらみ。そして何よりも重要なのは、殺したことへの反省がみじんも無いことだ。「…そのまま『やっちゃった』…… これは罪でしょうか」? こんな手紙を書く人間が、ただの絞首刑で終わってよいのか? 絞首刑は「楽な死に方」なのだ。

過激な発言、記述が、逆に被告への同情に向いても困るが、はっきり言う。彼には1ヶ月、あるいは1年がかりででもいいから、「長期間にわたる苦痛の果ての死」を与えるべきだ。歴史上にはさまざまな拷問があったという。そんな手法も取り入れるべきだ。死刑を回避するため、最近になって心にも無い手紙を遺族に送っているそうだが、「苦しみから開放される死」を望むまでにすべきだ。「早く殺してくれ」と泣き叫んでもすぐには殺さず、じわじわと痛めつけるべきだ。自分のやったことがどう自分に跳ね返ってくるかを骨の髄まで知らせてやるべきだ。

心配しなくて良い。彼は人間なんかじゃない。



ちなみに、話は横道にそれるが、被告には21人もの「大弁護団」がついているという。その弁護士費用はどこから出るのか? 被告の両親、親族は裕福なのか? 息子を想う両親の気持ちに異議を挟むつもりは、もうとう無いから、それならそれで良い。しかし、まさかとは思うが、そこに税金は使われていませんよね?
   

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