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2008年5月 7日 (水曜日)

パンダを日本へ?

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石原慎太郎東京都知事が、上野動物園で死んだ「リンリン」について、「別にみんなで大泣きして悲しむほどでもないじゃない」「パンダなんていてもいなくてもいいじゃない。そんなもんは、どうでも」と発言したそうだ。

彼は知ってのとおり「タカ派」の代表格である。中国との関係についても彼なりの思想があり、そのことがこの発言にも反映されていると思う。だから、彼に賛成するつもりはもうとう無いが、実は僕も「なぜパンダを日本に連れてきたいのかがわからない」という人間である。

そもそも、「動物園」や「水族館」とは何なのか?

僕も今まで、何度か動物園に行ったことがある。上野動物園にも行った。石川県にも「いしかわ動物園」がある。「能登島水族館」もある。そこで動物に会えるのは楽しい。デートにも良いし、家族連れの行楽にも良いし、子供の情操教育にも一役買っているだろう。そういう良い面は否定しないが、時々思うのは、「こんな狭いところに押し込められて、動物は楽しいのだろうか」ということだ。狭いだけならまだしも、本来はもっと寒い地域や暑い地域に生息しているはずの動物を、日本の気候の下で飼育するのはどうなのか。水族館なら水温の調整があるが、動物園では「気を使っている」ことはあっても、完全な生育環境が再現できるわけが無い。

動物は自然界で生きるとき、過酷な生存競争の中にいる。だからその個体が「生きるか死ぬか」という点では、動物園で暮らすほうが、はるかに天寿を全うする可能性が高い。ただ、それは動物にとって幸せなことなのか。人間たちは環境破壊で多くの動物たちを絶滅の危機に追い込みながら、そんな動物たちのごく一部を檻の中に閉じ込め、「かわいい」と言いながら見世物にする。日本の「朱鷺」のように、絶滅の危機に瀕している特定の動物に関する「保護」にはたしかに積極的だが、逆に言えば、「絶滅寸前」になるまでは、平気で環境を破壊し続ける。動物園は、動物を可愛がり、大切にするという気持ちを育てるのにも一役かってはいるだろうが、檻の中に閉じ込めた動物を見なければ、そんな気持ちは育たないのだろうか。

パンダは本来、中国の四川省近辺に生息しているという。野生のパンダは2000頭もいないはずだが、なぜそんな貴重な動物を日本に連れてきたいのか? 中国政府が「重要な外交手段」と位置づけているのは間違いないが、そう位置づける背景には、日本のように「そんな貴重な動物をぜひわが国の動物園へ」という国がたくさんあることがある。そして、そんな動物園には1頭か2頭しか贈られない。もともと群れや家族というものは作らないらしいが、それでもパンダは寂しくないだろうか。日本政府も中国政府も「友好の証」としてもらったりレンタルしたりする前に、今でも進むパンダの住める地域の減少に歯止めをかけ、野生のパンダが野生のままに増えていく環境を作る努力をすべきではないのか? 数が減って、繁殖期にも交尾する相手が見つからずに死んでいくという事態があるというのに、なぜそんな貴重な「相手」を他国の動物園で飼育する必要があるのか?人の手を借りなければ繁殖がままならない事態を作り出したのはそもそも誰なのか?

福田総理と胡錦濤国家主席との会談を伝えるニュースを見ていると、新しいパンダはおそらくやってくるのだろう。総理がその見返りに何を約束するのかは知らないが、そのパンダがやってきたとき、おそらく、テレビはいっせいに、小さなお子さんの喜ぶ笑顔を映しながら「良いニュース」として取り上げるんだろうなと思うと、複雑な気持ちになる。子供の無邪気な笑顔を否定する気は無いが ……。

     

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